1958年7月14日、イングランド中部の工業都市、シェフィールドでの出来事である。その日の晩、ドリーン・ベアード(14)はクロフト家に招かれてベビーシッターをしていた。夫のジョンはパブに、妻のウィニフレッドは友人宅に出掛けていたのである。世話をする子供は5人。上はそこそこ大きいが、末っ子のジューンはまだ1歳4ケ月だった。
ドリーンが子供たちと居間でテレビを観ていると、寝室でジューンがけたたましく泣き始めた。いくらあやせども一向に泣き止まない。ブチッと切れたドリーンは、ジューンの首にスカーフを巻き、キュッと締めた。すると、たちどころに泣き止んだ。
「やれやれ、これでテレビの続きが観られるわ」
スカーフを解くと、ドリーンは居間に戻って子供たちとテレビを観た。
「あっはっは」
「あたし、このおじさん、好きなのよお」
とか云いながら。
しばらくして、寝室に本を取りに戻ったドリーンは、ジューンが息をしていないことに気づいた。もう14歳なわけだから、これがヤバいということぐらいは判る。さて、どうしようかと思案して、シカトを決め込むことにした。あたしのせいじゃないんだから。勝手に死んじゃったんだから。そして、クロフト家の両親が午後11時過ぎに帰宅すると、共にお茶を飲んで談笑し、お小遣いを貰って帰宅したというのだから、誠に腹が据わった14歳である。
ジューンの死亡に両親が気づいたのは翌朝のことだった。結果、ドリーン・ベアードは逮捕され、殺人容疑で起訴されたわけだが、実はこの少女、以前から問題児で、診断した医師から「精神病質人格者」と明言されていたのだ。そもそもベビーシッターにしてはいけない子だったのである。
かくして、心神耗弱を理由に故殺罪でのみ有罪になったドリーンは教護院に収容された。その後の消息は不明である。
(2012年10月1日/岸田裁月)
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