1950年にオハイオ州クリーブランドで生まれたフランク・スピサックには二つの顔があった。一つは性転換を夢見る衣装倒錯者「フランキー・アン・スピサック」としての顔。そして、もう一つはアドルフ・ヒトラーの熱烈な信奉者としての顔だ。どうやら女装の件でユダヤ人に馬鹿にされた過去があるらしい。32歳になっていた彼は、チョビ髭をはやして髪を切り、女装そっちのけでヒトラーのコスプレに熱心になった。そして、クリーブランドを「浄化」するための「索敵殲滅作戦」に打って出たのが1982年2月のことである。
最初に標的になったのは黒人のホレース・リッカーソン牧師だった。彼はクリーブランド州立大学の男子トイレで射殺された。スピサックは黒人もまた憎んでいたようだ。
4ケ月後にはやはり黒人のジョン・ハーダウェイ(55)が犠牲になった。
その1ケ月後、スピサックは立て続けに3人を銃撃した。クリーブランド州立大学校舎の管理人、ティモシー・シーハン(50)はユダヤ人、同大学学生のブライアン・ウォーフォード(17)は黒人。そして、同大学職員のコレッタ・ダートはユダヤ人。但し、コレッタ・ダートだけは幸いにも一命を取り留めている。
間もなくスピサックは自宅アパートの窓から発砲したかどで逮捕された。1982年7月某日のことである。その際、匿名の電話が警察に入った。
「奴の銃を調べろ。必ず何らかの犯罪に関わっている筈だ」
早速、弾道検査をしてみたところ、それはシーハンとウォーフォード殺害に用いられた凶器と一致した。かかる事実を突きつけられて、スピサックは犯行を認めた。そして、満足げに云い添えた。
「志は高かったんですよ」
(My aim was pretty good.)
「すべてが神のお導きでした」
などと法廷で語るスピサックは、精神異常を理由に無罪を主張したが、陪審員は責任能力ありと判断。かくしてスピサックは4件の殺人で有罪となり、死刑判決が下された。その際、彼は判事に向かって、このように毒づいたと伝えられている。
「例えこの法廷で1000回の有罪判決が下されようとも、偉大なるアーリア人の神による上級裁判所では私は無罪なのです。ハイル・ヒトラー!」
ああ、さいですか。そりゃおめでたいこって。
(2009年12月10日/岸田裁月) |