1993年4月14日、モスクワ近郊のバラシーハで逮捕されたセルゲイ・リャホフスキー(30)は、1988年から5年に渡って、少なくとも19人を殺害した。被害者の年齢は14歳から78歳と幅広く、性別も様々だった。19人のうち12人が女性、5人が男性、残りの2人は少年である。相手は誰でもいいという感じだ。
殺害方法はいつも同じだ。ロープか素手で首を絞めた後、ナイフ等で切り刻むのだ。遺体の損壊は性器付近に集中していた。また、多くの遺体は死後に姦淫されていた。
1993年1月、リャホフスキーは78歳の男性を殺害後、ハンティング・ナイフで首を斬り落し、遺体を森に遺棄した。そして、その翌日に遺棄した場所に舞い戻り、今度は脚を斬り落した。いったい何なのだろうか、この執着。それほどに血に飢えていたということなのか?
次の犠牲者は65歳の女性だった。リャホフスキーは殺害後、その腹を切り裂き、火薬を詰めて爆破させたという。うひゃあ。スゲえなあ、もう。辺り一面、血の海だ。
次の犠牲者は16歳の少年だった。彼は首を吊られて殺された後、斬首されて、はらわたをくり抜かれた。いやはやなんとも、言葉もない。まさに「マッド・ブッチャー」と呼ぶに相応しい所業である。
ところが、意外にもリャホフスキーにつけられた綽名は「カバ」だった。身長198cm、体重127kgという大柄な体格と、のっそりと歩く動作ゆえにそのように呼ばれたようだ。悪魔の申し子のような男だったが、捜査には協力的だったという。
かくして19件の殺人容疑で有罪となったリャホフスキーには死刑が宣告されたが、1996年にロシアが欧州議会に加盟した際に死刑執行が停止されたため、終身刑に変更された。そして、2005年に獄中で死亡した。
(2011年3月8日/岸田裁月) |