マイケル・ロスは凶悪な連続強姦殺人犯におよそ似つかわしくない。ひょろひょろとしたひ弱な体型にフィンガー5のようなトンボ眼鏡。童顔で、逮捕時は25歳だったにも拘らず、まるで15、6歳の少年のようだ。如何なる犯罪とも無縁に思える保険勧誘員が、どうして凶行に手を染めてしまったのか?
マイケル・ロスは1959年7月26日、コネチカット州パトナムにダニエル・ロスとパトリシアの第一子として生まれた。両親はいわゆる「できちゃった婚」だったようだ。だからというわけではないが、結婚生活はあまり恵まれたものではなかった。パトリシアは養鶏という家業に馴染めず、何かと我が子に八つ当たりした。つまり、マイケルは母親に虐待されて育ったのである。母親の弟から性的虐待を受けていたという話もある。心が歪んでしまうのも宜なるかな。それでも聡明なマイケル少年は(実際に知能指数は高かった)平静を装って、真面目に学校に通いながら家業を手伝っていた。病気や奇形の鶏を絞め殺すのは彼の役目だったという。今になって思えば、鳥肌が立つエピソードである。
ちなみに、諸悪の根源たる母親は4人の子を産んだ後、浮気相手と共にノースカロライナに駆落ち。やがて精神病院に収容されている。母親の弟も自殺を図ったことがある。問題の多い家系である。
マイケルが異常性欲に目覚めたのはコーネル大学に進学後と思われる。そして、在学中の1981年から1984年にかけて、数十人の女性を強姦し、うち8人を絞殺した。
1981年 5月12日 ズン・ガク・トゥ(25)
1982年 1月 5日 タミー・ウィリアムス(17)
3月 ポーラ・ペレラ(16)
6月15日 デブラ・スミス・テイラー(23)
1983年11月 ロビン・スタヴィンスキー(19)
1984年 4月22日 エイプリル・ブルネイズ(14)
4月22日 レスリー・シェリー(14)
6月13日 ウェンディ・バリボールト(17)
そして、最後の犯行の16日後、1984年6月29日に逮捕された。「被害者を誘拐した男は青いトヨタに乗っていた」との目撃証言が決め手になったようだ。間もなく彼は素直に犯行を認めた。最初の犯行後は猛烈な自己嫌悪に陥り、自殺を図ろうとしたが勇気がなくて遂げられなかったというから、根は腐ってはなかったのだろう。ただ、女を犯したいという衝動を抑えることが出来なかった。結果、勢い余って8人も殺してしまったというわけだ。
かくしてマイケル・ロスは最後の4件でのみ裁かれて有罪となり、死刑を宣告された。1987年7月6日のことである。
その後、マイケルは長きに渡って「死刑判決は不当」として再審を求めていたが、2004年頃からは死刑を望むようになった。曰く、
「遺族を苦しみから解放するには私が死ぬしかないのです」
その心変わりの背景には信仰上の理由があった。獄中で熱心なカトリック信者になったマイケルは「死刑になれば神は許して下さる。そして、魂の平穏が得られる」との悟りを開いたようなのだ。だから早く殺しておくれよとせっつき始めたというわけだ。
これに面食らったのは、今まで彼を支援して来た死刑廃止論者である。おいおいおいおい、話が違うじゃないかよ。かくして両者の対立が始まった。執行の日が決定すると「死刑は自殺の幇助に該当する」として訴訟を起こし、執行を延期させる廃止論者。これにロスがキレた。
「どうして邪魔をするんですか! 早く死なせて下さい!」
結局、彼の主張が通り、2005年5月13日に薬物注射により無事に処刑された。コネチカット州で死刑が執行されたのは1960年以来、実に45年ぶりのことだった。
(2009年12月17日/岸田裁月) |