犯行現場
犯行現場
ハリー・ロバーツ
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「英国史上最悪の警官殺し」として語り継がれている事件である。
まずはGoogleマップで犯行現場を御覧頂きたい。
「Braybrook St, Hammersmith, London」
この道を半ばまで北上した地点が犯行現場である。向かって右側には広い公園が、後方にはウォームウッド・スクラブス刑務所がある。そして、このような刑務所に隣接する場所であったからこそ本件は起きた。他の場所では起こらなかっただろう。
1966年8月12日、クリストファー・ヘッド(30)とデヴィッド・ウムウェル(25)の2人の刑事は、ジェフリー・フォックス巡査(41)の運転で、ロンドン西部のシェパーズ・ブッシュ地区を巡回していた。3人共私服だった。
午後3時15分頃、ブレイブルック・ストリートに差し掛かったところで、彼らは1台の不審車が停まっているのを見つけた。それは青いステーションワゴンで、中には3つの人影が見える。ウォームウッド・スクラブス刑務所のすぐそばである。ひょっとしたら脱獄の手引きを企んでいるのではないか? 彼らは連中を尋問することにした。
青いステーションワゴンの中にいたのは3人の小悪党だった。
運転手のジョン・ウィットニー(36)は強盗の常習犯。助手席のハリー・ロバーツ(30)もまた然り。ウィットニーとのコンビで数々の強盗を働いていた。後部座席にいたのは元トラック運転手のジョン・ダディー(37)。これまでは堅気に暮らしていたのだが、失業したのを機に2人の誘いに乗ったのだ。
ちなみに、彼らは脱獄の手引きを企んでいたわけではなかった。次なる強盗の算段をしていたのだ。私が冒頭で「この場所でなければ事件は起こらなかった」と述べた理由がお判りだろう。この場所でなければ警察に尋問されることはなかったのだ。
フォックス巡査に命じて車を停止させた2人の刑事は、ステーションワゴンに近づくなり「タックス・ディスク(自動車税支払済み証)」が貼られてないことに気づいた。ヘッド刑事は運転手のウィットニーに訊ねた。
「タックス・ディスクはどうした?」
ウィットニーは答えた。
「すみません。まだMOT(車検)が降りてないもので…」
「じゃあ、免許証と保険証を見せろ」
免許証は有効だったが、保険は既に切れていた。ヘッドは部下のウムウェルに3人を尋問するように命じ、ステーションワゴンを調べるために後部に回った。ウィットニーは抗議した。
「勘弁して下さいよ。この件では2週間前に調べられたばかりなんです」
こう云い終わるや否や、助手席のロバーツがウムウェルの左眼に銃弾を撃ち込んだ。即死だった。ヘッドは慌てて逃げ出したが、やはりロバーツに背後から頭を撃たれて崩れ落ちた。一方、後部座席にいたダディーはステーションワゴンから飛び出して、運転席にいたフォックス巡査に目掛けて3発発砲した。うちの1発はこめかみを貫き、制御を失った車はヘッド刑事の遺体に乗り上げた…。
ほんの数秒の出来事だった。だが、冷酷極まりない犯行だ。
3人の死を確認した一行は現場から脱兎の如く走り去った。猛スピードで走り去るステーションワゴンの目撃者は車のナンバーを控えていた。
「PGT 726」
やはり刑務所近くということで、脱走犯だと思ったらしい。
6時間後、ステーションワゴンの所有者たるジョン・ウィットニーが自宅で逮捕された。当初は「あの車はパブで出会った見知らぬ男に15ポンドで売った」などとしらばくれていたが、厳しい追及の結果、犯行を自供し、共犯者の名前を明かした。
8月17日にはジョン・ダディーが故郷のグラスゴーで逮捕された。だが、ハリー・ロバーツの行方は杳として知れなかった。マラヤ連邦での従軍経験がある彼は、ゲリラ戦に備えた訓練を受けていたのだ。だから、森の中に身を潜め、サバイバル生活を送っていたのである。目撃者の通報により逮捕されたのは3ケ月後の11月15日のことだった。
法廷において、ロバーツはウムウェルとヘッドの件についてのみ有罪を認めたが、他の2人は無罪を主張した。だが、共同正犯の理論に従えば、3人が3人とも3件の殺人の罪を負う。故に3人とも有罪となり、終身刑が云い渡された。その際に裁判官は少なくとも30年は仮釈放を認めるべきでないことを付言した。
最初にこの世から退場したのはジョン・ダディーだった。彼は1981年2月8日に獄中で死亡した。
ジョン・ウィットニーは1991年に仮釈放が認められた。これには論争が持ち上がった。まだ30年経っていなかったからだ。そして1999年8月、ヘロイン中毒の同居人にハンマーで殴り殺された。
最後に残ったハリー・ロバーツは今でも刑務所に服役している。仮釈放を申請しているが、未だに認められていない。
(2011年1月8日/岸田裁月) |