1985年10月から翌1月にかけて、ジョージア州オールバニーのフィービー・パットニー病院では、集中治療室における心停止の死亡率が急増していた。それまでは3〜4人だったのだが、倍以上も死亡するようになったのだ。何か原因があるかも知れない。2月11日に心停止を起した患者(但し、緊急処置により蘇生)を調べたところ、点滴チューブから高数値の塩化カリウムが検出された。これは歴とした殺人である。
心停止の発生は午後3時から午後11時の間に集中していた。そして、看護婦のテリ・レイチェルズ(24)はその殆どに立ち会っていた。
捜査員に尋問されたレイチェルズは、当初は関与を否定していたが、やがて5人の患者に致死量の塩化カリウムを投与し、うちの3人を死に至らしめたことを認めた。この供述は録音されて、後に法廷で証拠として提出された。
1986年3月25日、レイチェルズは6件の殺人と9人に対する20件の加重暴行の容疑で起訴された。
法廷において弁護人は、被告には精神疾患があるとして無罪を主張した。但し、殺人行為を認めた上で無罪を主張したわけではない。そもそも自白自体が彼女の精神疾患に基づくものだったと主張したのだ。弁護側の証人として呼ばれた精神科医のエヴェレット・クーグラーはこのように証言した。
「被告は15歳の時から家出するまでの1年間、養父による性的虐待を受けていました。そして、そのような虐待を受け続けるうちに、養父に気に入られようとする気持ちと罪悪感の板挟みに苦しみ、空想の世界に入り込んで行ったのです。被告には空想と現実の区別がつかないのです。だから、自分のやっていないことまでやったと思い込み、やったことについては、本当にやったのかどうかが判らないのです」
レイチェルズにはこれまでにも、買った憶えのない服がタンスの中に入っていたり、食べた憶えのないハンバーガーの包装紙が車の中に落ちていたり、財布の中に憶えのない大金が入っていたり、仕事に出かけてから帰宅するまでの記憶がすっぽりと抜け落ちていて、後で車を調べるとガソリンが異常に減っていたりしたことがあったという。これが事実なら恐ろしいことだ。このような人に命を預かる仕事をさせてはいけません。証言は続く。
「被告が犯行に及んだか否かは私の知るところではありません。しかし、被告のような人々は、自分がやっていないことを自白することもままあるのです。被告は正常ではありません。入院が必要な重病人なのです」
この証言を受けて陪審員は、物証のある2月11日の加重暴行についてのみ「有罪だが精神疾患(guilty but mentally ill)」と評決し、6件の殺人と19件の加重暴行については不問とした。已むを得まい。検察官は自供の録音テープの他に有力な証拠を提出することが出来なかったのだから。
かくしてテリ・レイチェルズには17年の刑が下された。そして、2003年に釈放された。
(2011年1月27日/岸田裁月) |