1984年5月3日、シュトゥットガルト近郊の町、マールバッハを通るハイウェイの待避所でジークフリート・フィッツァー(47)の遺体が発見された。銃で頭を撃たれていた。
間もなく警察は遺体から500mほど離れた地点で故人の車を発見した。それはその日に隣町のエルプシュテッテンで銀行強盗に使われた車だった。犯人の男はフィッツァーを殺害して車を奪い、エルプシュテッテンの銀行前に乗りつけると、大槌(スレッジハンマー)で窓口のガラスを叩き割り、金を奪って逃走したのだ。如何にも荒々しい犯行である。
7ケ月後の1984年12月21日、マールバッハの北5kmの町、グロースボットヴァーの待避所でユージン・ヴェゼイ(37)の遺体が発見された。やはり銃で頭を撃たれていた。
1週間後の12月28日、犯人は現場から西に30kmほどの町、クレーブロンで故人の車を使って銀行強盗に及んだ。大槌で窓口を叩き割る等、手口は前回とまったく同じである。マスコミは早速、犯人のことを「ハンマーキラー(Der Hammermorder)」と命名した。なにやらB級映画のタイトルのような異名である。
7ケ月後の1985年7月22日、グロースボットヴァーの北5kmの町、シュミートハウゼンの駐車場で、ウィルフリード・シャイダー(26)の遺体が発見された。やはり銃で頭を撃たれていた。そして、故人の車はまたしても銀行強盗に使われていた。
2ケ月後の1985年9月29日、殺害現場にほど近いルートヴィヒスブルク駅を捜索していたテロ対策班の公安警察が、ロッカーの中から警察官の制服を発見した。それはシュトゥットガルト警察に14年勤務するノルベルト・ペルケのものだった。早速、ペルケを呼び出して問いただすと、彼はこのように弁明した。
「実はこの間、親類に急な不幸がありまして、喪服に着替えて預けていたのをすっかり忘れていました」
ところが、その年に死亡したペルケの親類は一人もいない。但し、去年の3月に娘が癌で死亡している。そして、ペルケは娘の治療費を賄うために多額の借金を負っている…。
ここでペルケが一連の事件の犯人なのではないかという疑惑が浮上した。というのも、最初の犯行が娘の死後2ケ月後のことであり、時期的に符合するのだ。また、凶器の銃は、警官が主に使用するワルサーP5であることが判明していた。警官が犯人である可能性が既に指摘されていたのだ。
10月14日にペルケが病気を理由とする長期休暇を願い出たことにより彼の嫌疑は深まった。数日後、ペルケの自宅を捜査官が訪ねた。ところが、時すでに遅し。ペルケは逃走した後だった。
浴室にはペルケの妻、インゲボルグの遺体があった。頭を2発撃たれていた。寝室にはペルケの息子、アドリアンの遺体があった。頭を1発撃たれていた。
3日後の10月23日、ペルケともう一人の息子、ガブリエルの遺体がイタリア南部の港湾都市、ブリンディジの海辺で発見された。車中で頭を撃ち抜き、無理心中していたのである。彼らの命を奪った銃は、弾道検査により「ハンマーキラー」の凶器であることが確認された。なんともはや、切ない後味の事件である。
(2010年12月12日/岸田裁月) |