1955年にジョージア州クレイトンで生まれたマーサ・アン・ジョンソンは、22歳までの間に3度も結婚している。最初の結婚では長女を、2度目の結婚では長男を儲けた。そして、22歳の時にアール・ボーエンと再婚したわけだが、結婚生活は当初から困難を極めた。夫婦喧嘩が絶え間なく、夫はたびたび家を出た。マーサは喧嘩の原因が自分の連れ子にあるのではないかと思い始めていた。
1977年9月25日、長男のジェイムス・テイラー(2)が救急病院に運び込まれた。既に息をしていなかった。マーサによれば、睡眠中に呼吸不全に陥ったという。外傷が認められなかったことから、死因は乳幼児突然死症候群(SIDS)と診断された。
その後、しばらくは夫婦の仲は円満になった。息子の死を嘆くマーサを夫が慰めたからである。そして、1979年には次男、1980年には次女と2人の子宝にも恵まれた。ところが、次女の誕生に前後して、結婚生活はまたしても険悪になっていた。
1980年11月30日、次女のタバサ・ボーエン(3ケ月)が救急病院に運び込まれた。既に息をしていなかった。このたびの死因もまたSIDSと診断された。これに対して夫のアールが異議を申し立てた。
「同じ家庭でこうも頻繁に子供が自然死するということはあり得るのかね?」
医師は「あり得る」としか答えられなかった。まさか悲劇の母親が子供を殺しているとは思えなかったからだ。
1981年1月下旬、次男のアール・ボーエン(2)が救急病院に運び込まれた。マーサによれば、どうやら殺鼠剤を口にしたとのことだった。このたびは心停止状態には陥っていない。適切な処置が施されて、アールは間もなく意識を取り戻した。ところが、退院直後の2月12日、アールは心停止状態で再び救急病院に運び込まれた。死因は不明だった。
立て続けに子供が3人も死亡しているのだ。ケアをしていた母親が疑われない訳がない。長女も養父に「お母さんと一緒にいるのが怖い」と漏らしていたという。しかし、殺人が行われたことの具体的な証拠がない。検察官はお手上げだった。
そうこうするうちに長女のジェニー・ライト(11)が死亡した。1982年2月21日のことである。死因は窒息だ。しかし、このたびもまたマーサを訴追できるだけの具体的な証拠に欠けていた。
夫のアールはこの期に及んでようやく離婚を決意した。彼は子供たちを殺したのはマーサだと確信していた。一方、マーサはというと、一連の殺人を通じて太々しくなっていたのだろうか。離婚をあっさりと受け入れ、1988年には別の男と再婚した。
この「再婚」のニュースにマスコミが飛びついた。4人の子供を殺害した疑惑がある女が再婚したのである。話題になって当然だろう。そして、様々な検証からマーサの悪行が次第に明らかになっていった。
かくしてマーサは1989年7月3日にようやく逮捕され、4件の殺人容疑で起訴された。そして、3件の殺人で有罪となり、終身刑を宣告された。
(2011年5月1日/岸田裁月) |