いやはやなんとも、太々しい面構えのマグショットである。5人も殺しているのだから、ちょっとは反省して欲しいものだ。
1946年1月3日にテキサス州で生まれたフィリップ・ヤブロンスキは、アル中の父親に虐待されて育った。ハイスクールを卒業後に従軍し、しばらく海外に派遣される。そして、帰還後にハイスクール時代の恋人のアリス・マッゴーワンと結婚する。1968年のことである。
しかし、結婚生活は長くは続かなかった。ヤブロンスキのセックスが次第に暴力的になったからだ。ある時はアリスの顔に枕を押しつけて窒息させ、またある時は彼女が意識を失うまで首を締め上げた。このままでは殺される。彼女が逃げ出したのは、今思えば賢明な選択だった。
1968年11月、ヤブロンスキはジェーン・サンダースと出会い、最初のデートでいきなり強姦している。間もなく彼女が妊娠したのを機に籍を入れ、カリフォルニア州に移り住んだのは1969年7月のことである。
暴力的なセックスは相変わらずだった。ジェーンが「もうやめて」と訴えると、銃を彼女に突きつけて「やらせろ」と迫ったというから酷い話だ。1972年になってようやく彼女は逃げ出した。子供のことを考えて、なかなか逃げ出せなかったのだろう。
こんなことを続けていれば、いつか殺してしまうことは目に見えていた。そして、1978年に遂に同棲相手のメリンダ・キンボールを殺してしまう。かくして逮捕されたヤブロンスキは殺人容疑で有罪となり、12年の刑が云い渡されたのだった。
1982年、ヤブロンスキは獄中で文通相手のキャロル・スパドーニと結婚する。そして、出所後に同居するわけだが、この結婚生活も長くは続かなかった。ヤブロンスキが失われた12年を取り戻そうとするかの如く、凄まじい頻度で殺人を繰り返したからだ。
1992年4月22日、ヤブロンスキはファサイマ・ヴァン(38)を銃で脅して強姦した後、頭を撃ち抜いて殺害した。
彼女の遺体はカリフォルニア州インディオの砂漠地帯に遺棄されていた。全裸の上、全身傷だらけで、背中には「I Love Jesus」の文字。そして、眼や耳が取り除かれていた。
ちなみに、彼女は二児を抱える未亡人で、ヤブロンスキが仮釈放の条件として通わされていたコミュニティー・カレッジの聴講生だった。
翌日の4月23日、ヤブロンスキは妻のキャロル(46)と、彼女の母親のエヴァ・パターソン(72)をバーリンゲームの自宅で殺害した。
4日後の4月27日には逃亡先のユタ州でマージー・ロジャース(58)を殺害し、158ドルを奪っている。そして、その翌日にカンサス州で遂にお縄となるのだった。まったく何てえ奴だい、べらぼうめ。血に狂っていたとしか思えない。
かくしてヤブロンスキは4件の殺人で有罪となり、死刑を云い渡された。しかし、刑はまだ執行されていない。獄中ではせっせと文通に勤しんでいるようである。
(2011年2月4日/岸田裁月) |