1956年にネバダ州ラスベガスで生まれたウェイン・ホートンは、激しい気性の持ち主として地元では恐れられていた。最初の殺人は1972年、彼がまだ16歳の時のことである。酒屋で出会った女を「大麻があるぜ」とドライブに誘い、カジノ裏の砂漠に連れ出すと、ジャッキで頭をしこたま打ち据えて遺棄したのである。彼女の遺骨が発見されたのは1973年2月4日になってからだ。身元は未だに判っていない。
次の殺人は1975年5月12日のことである。シーザーズ・パレス・ホテルのシフト主任、エドワード・ブッチエリ(52)を銃で脅して金を奪い、頭に5発の銃弾を撃ち込んだのだ。後に殺した理由を訊かれたホートンはこう答えた。
「罵られたからさ」
そりゃ罵るよ。強盗なんだから。
3ケ月後にはタクシー運転手のウィリアム・ティネルに強盗を働き、命乞いする彼の頭に銃弾を撃ち込んだ。
「あいつは生きるに値するとは思えなかった」
というのが法廷で語ったその理由だ。その言葉、そっくり貴様にお返ししよう。
1976年4月、強盗と強姦、そして誘拐の容疑で逮捕されたホートンは、拘置所の中でも殺人を犯す。但し、このたびは直接手を下していない。2人の囚人仲間に同房のカルヴィン・ブリンソン(19)を刺し殺すことを教唆したのだ。理由は「退屈だったから」という極めて単純なものだった。
間もなくブッチエリとティネルの殺害の容疑で裁かれて、有罪となったホートンには終身刑が宣告された。彼は終始笑みを浮かべ、裁判を楽しんでいるようだった。刑務所に収容された際にも、このような大胆不敵なことを宣ったという。
「ここには野郎が大勢がいる。出来ることなら殺してやるよ」
(There are several people. I'm going to kill if I can.)
これを耳にした黒人の囚人が笑うと、ホートンは彼に怒鳴りつけた。
「せいぜい笑うがいいぜ、黒んぼ! お前が最初になるかもな!」
(Go ahead and laugh nigger. You just might be the first one.)
その後、他の2件でも裁かれて有罪となったホートンは、カリフォルニア州の刑務所に移送された。余りにも多くの囚人に殺人予告をしていたからというのがその理由だ。面白い男である。
(2009年4月2日/岸田裁月) |