エリック・ハリス
ディラン・クレボルド
監視カメラが捉えた犯行現場 |
記憶に新しい事件である。巷では「コロンバイン高校銃乱射事件」若しくは「トレンチコート・マフィア事件」として知られるこの事件は世界中に大きな衝撃を齎した。なにしろ2人の現役高校生が同級生たちを銃撃し、13人もの尊き命を奪って自殺したのである。しかも、当初の計画では少なくとも500人を殺すつもりだったという(仕掛けた爆弾が不発に終わったために、この計画はおじゃんになった)。いったい何が彼らにそうさせたのだろうか?
学校ではスポーツが得意でないと馬鹿にされ、イジメられる。どの国でも同じだが、アメリカではその傾向が顕著だという。そして、本件の犯人もそんなイジメられっ子だった。つまり、これは『ナーズの復讐』だったのだ。ナードがジョックに復讐するあの映画の現実版だ。しかし、彼らの復讐には映画とは異なり、ユーモアのかけらもない。あるのは、ただひたすらな悪意のみだ。
この事件を足掛かりにしてアメリカの銃社会を告発するマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー『ボウリング・フォー・コロンバイン』には、泣きじゃくる女生徒のインタビューが収録されている。
「彼は図書館で私のまわりの子を撃つと、私の頭に銃を突きつけて『死にたいか?』と訊いたの。私は泣きながら『撃たないで』と頼んだわ。そしたら私の前にいた女の子の頭を撃ったの!」
私はこの場面で涙を堪えきれなかった。余りにも惨い犯行である。人間性のかけらもない。人はここまで冷酷になれるものなのか? それほど酷くイジメられていたのだろうか? 否。実は彼ら自身も黒人やヒスパニック系を馬鹿にし、イジメていたのである。黒人の生徒を撃つ時は「ニガー」と侮蔑していたのだ。
エリック・ハリス(18)とディラン・クレボルド(17)の両名は「トレンチコート・マフィア」と呼ばれる集団に属していた。云わばナードの自警団である。黒いトレンチコートに身を包み、アドルフ・ヒトラーとマリリン・マンソンを信奉し、爆弾や手榴弾の製造を試みていたというから物騒な話だ。つまり、彼らはジョックの攻撃から身を守るために武装したのである。イジメられっ子どころか、今や恐れられる存在になっていたのだ。
中でも一番の問題児がエリック・ハリスだった。ネット上で爆弾の製造法や社会に対する罵詈雑言を公開していた彼は、事件の1年ほど前にブルックス・ブラウンの殺害予告を書き込んで警察に通報されている。ブラウンはクレボルドの親友だった。嫉妬に似た感情がその背景にあったのだろう。
また、ハリスとクレボルドは1998年1月に窃盗容疑で逮捕されている。路上の車から電気製品を盗もうとして現行犯逮捕されたのだ。この更正プログラムが終了したのが事件直前、1999年2月のことだった。このことが犯行の引き金になったことは想像に難くない。つまり、彼らにはナードの他に前科者という肩書きが加わったのだ。一般の生徒からかなりの距離が開いてしまった。孤独に苛まれていたのではなかろうか。そして、大学への進学に失敗し、海兵隊からも入隊を拒まれる。かくなる上はやけのやんぱち。大きなことを仕出かして歴史に名前を刻もうと、学校襲撃に打って出たのである。
襲撃が4月20日だったことにも意味がある。その日はヒトラーの110回目の誕生日だったのだ。
とにかく1999年4月20日、コロラド州ジェファーソン郡のコロンバイン高校でそれは起こるべくして起こった。兆候は以前から山ほどあった。彼らが学校の課題で撮ったビデオは事件にそっくりだった。それでも学校は何もしなかった。彼らはバイトで得た金でいくつもの銃器を買い込んでいた。それでも親は何もしなかった。まるで腫れ物のように彼らを扱い、無視し続けたのである。
彼らは構って欲しかったのではないだろうか。止めて欲しかったのではないだろうか。しかし、誰も構ってくれなかった。誰もが彼らを無視し続けた。結果、13人(うち1人は教師)が死亡、24人が負傷。そして、自らの命を断つことで、この世からおさらばしたのである。
つまり、この事件は社会から見放され、無視され続けた2人の若者の復讐であり、心中だったのだ。
(2009年4月1日/岸田裁月) |