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ジョセフ・ハリス
Joseph Harris (アメリカ)



ジョセフ・ハリス

 1991年10月9日の夜、ジョセフ・ハリスはニュージャージー州パターソンの自宅アパートで2枚の遺書を認めた。その中で彼はパトリック・シェリルの大量殺人を正当化していた。ハリスもまたシェリルと同じ郵便局職員だったのだ。しかし、数々の蛮行ゆえに18ケ月前にクビになった。その日から復讐のプランを練り始め、そして今日に至ったのである。
 遺書を書き終えたハリスは、黒い軍服と防弾ジャケット、黒い忍者マスクに身を包み、9mmウージーと22口径マシンガン、手製の手榴弾と日本刀で武装すると、深夜の街へと繰り出した。その際に自室の玄関にブービートラップを仕掛けることも忘れない。出来るだけ多くを殺したい。敬愛する先人、パトリック・シェリルに並びたいというよこしまな思いが窺える。

 ニュージャージー州トレントンの黒人家庭に生まれたハリスは、1974年から77年まで海兵隊に所属し、その後、家電修理工見習いを経て、1981年にリッジウッド郵便局の夜間勤務の職を得た。
 同僚の間では彼の評判は芳しくなかった。マーシャルアーツに凝っていた彼は、何かと空手技を披露するので迷惑がられていたのだ。或る時などは、郵便物が詰まった袋を相手に「アチョー!」などと回し蹴りをしていたという。カンフー馬鹿、ここに極まれり。上司のキャロル・オットに叱責されても逆ギレする始末。挙げ句の果てにクビになったのが1990年4月のことである。以来、元同僚たちはいつ仕返しに来るかとビクビクしていたという。
「あいつは歩く時限爆弾だよ。いつ爆発してもおかしくなかった」
 18ケ月も沈黙していたのは、実際に爆弾や手榴弾作りの研究をしていたからなのだ。全くトンデモない男がいたものである。

 ハリスがまず向かったのは元上司キャロル・オットの家だった。居間でテレビを観ていた彼女の恋人、コーネリアス・カステンの頭に銃弾を御見舞いした後、寝室で眠るキャロルに日本刀で斬りつけた。
 なんで日本刀やねん。ショー・コスギのファンなのか?
 復讐を果たしたハリスは、それでもまだ満足することなく、リッジウッド郵便局へと向かった。まさに「going postal」である。そして、夜間勤務のドナルド・マクノートジョセフ・ポーウを有無を云わさず射殺すると、籠城を決め込んだのである。

 午前2時、トラック運転手のマルチェロ・コラードがいつものように郵便物を届けにやって来た。ところが、今日はいつもと様子が違う。誰も顔を出さないし、部屋の明かりもついていない。「どうしちゃたのかなあ?」と中を覗くと、なんと忍者が銃を構えているではないか!
 コラードの足は早かった。背後の銃声を尻目に、1kmほど離れた警察署にスタコラサッサと逃げ延びた。
「郵便局に忍者がいます! 撃ってきます! エライことです!」
「忍者あ? ウソだあ」と半信半疑の警官たちも、いざ現場に向かうと認めざるを得なかった。なにしろ銃を撃ってくるわ、手榴弾を投げてくるわ、危険極まりない術を駆使して挑んで来やがるのだ。直ちにスワット部隊が呼ばれて、郵便局をぐるりと包囲。交渉に応じてハリスが降伏したのは午前7時を回った頃だった。結局、彼は意気地がなくて死ねなかったのだ。

 かくして第一級殺人で有罪となり、死刑を云い渡されたハリスは、1996年に獄中で死亡した。

(2009年3月26日/岸田裁月) 


参考文献

『世界殺人者名鑑』タイムライフ編(同朋舎出版)
『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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