1977年9月16日、ジョージア州コロンバスのフォート・ベニング陸軍基地付近で陸軍兵士カレン・ヒックマン(24)の遺体が発見された。死因は撲殺である。彼女は白人だが、黒人兵ともデートすることで知られていた。そして、最後のデートのお相手がウィリアム・ハンスだった。25歳の黒人兵である。
本腰を入れて調べれば直ぐにでもホシは割れただろう。ところが、警察は聞き込みもロクにしなかった。というのも、当時のコロンバスでは「ストッキング・ストラングラー」なる連続殺人犯が暗躍しており、住民からやいのやいのと逮捕をせっつかれて、人員を他の事件に割けなくなっていたのだ。
逮捕されないことに気をよくしたハンスは、味をしめたのか、もう1人を殺してしまう。黒人の売春婦、ゲイル・ジャクソンこと本名ブレンダ・ゲイル・フェイソン(21)である。そして、彼女の遺体を埋めた後、偽装の妙案を思いつく。件のストッキング野郎をとことん利用してやろうじゃないか、と。早速、彼は基地に戻り、以下の声明文をしたためて警察に送りつけたのである。
「我々は7名のメンバーからなる組織だ。この手紙を書いたのは、コロンバスの女性を1人、人質にしていることを知らせるためだ。彼女の名前はゲイル・ジャクソン。検視官の話では絞殺魔は黒人とのことだ。我々はそいつを捕まえるため、あるいは警察に圧力をかけるためにこの街にやって来た。現在、ゲイル・ジャクソンはまだ生きている。だが、もし1978年6月1日までに絞殺魔を捕まえなければ、警察はウィノントン・ロードでゲイル・ジャクソンの遺体を見つけることになるだろう。もし1978年9月1日になっても絞殺魔が捕まらなければ、犠牲者の数を2倍に増やす。これはハッタリではない。我々の名は『悪の力(The Forces of Evil)」である」
続く手紙では「悪の力」の本拠地がシカゴであることを明かし、警察にマスコミを通じて組織と連絡をとることを要求していた。また、ゲイル・ジャクソンを生かしておいて欲しければ1万ドルよこせとも書かれていた。警察は当初は手紙をイタズラと無視していたが、現実にゲイル・ジャクソンが行方不明になっていることが判明すると、慌てて「悪の力」を調べ始めた。まことに狡猾な偽装工作である。おかげでハンスは疑われもしなかったのだ。
ハンスは組織の存在を裏づけるために、フォート・ベニングの憲兵隊にも電話を入れている。
「こちらは『悪の力』だ。我々はゲイル・ジャクソンを殺すつもりだが、どうして警察は手を打とうとしないのか?」
ところが、これが命取りになった。音声がばっちり録音されていたのだ。
1978年3月末、コロンバス警察から協力を求められたFBIの特別捜査官ロバート・レスラーは、手紙がデタラメであることを見抜いた。電話の声の訛りや文章の感じから「犯人は黒人男性1人」との結論に達したのだ。おそらくゲイル・ジャクソンは既に死んでいる。そのことを偽装するためにこんな芝居に打って出たのだ、と。
4月3日、フォート・ベニングの憲兵隊のもとに3度目の電話が入った。ゲイルの遺体がフォート・ベニングから「100メートル」の場所で見つかるだろうとの内容だ。直ちに捜索したところ、その通りに遺体が発見された。検視によれば死後5週間は経っているとのこと。レスラーの予想通りだった。
犯人からの3通目の手紙には「アイリーン」という黒人女性を人質に取ったと書かれていた。おそらく彼女も既に殺されているのだろう。間もなく犯人からの電話の指示により、アイリーン・サーキールド(32)の遺体が発見された。彼女もまた売春婦だった。
数々の証拠は犯人が軍関係者であることを物語っていた。手紙には陸軍の便箋が使われていた。また、犯人はヤード法ではなく「メートル」を使い、「自動車(automobile)」を「車両(vehicle)」と呼んでいることからも軍関係者であることが窺える。
更に、ゲイルやアイリーンは基地に勤務する黒人兵を相手に商売していた。犯人がこんな小細工をしたのは、おそらく彼女らと極めて親しい関係にあり、疑われることを恐れたためだろう。
ここまで判れば逮捕は時間の問題だ。かくしてレスラーが作成したプロファイルが配られた2日後にウィリアム・ハンスは逮捕されたのだった。
この後、一般の裁判所と軍法会議との双方で裁かれたわけだが、ここら辺はごちゃごちゃとややこしいので割愛して、結論だけを云えば、死刑を宣告されて、1994年3月30日に処刑された。
なお、ハンスはインディアナ州のフォート・ベンジャミン・ハリソンでも黒人女性を殺害したことを告白したが、この件は不問に付されている。
(2009年4月5日/岸田裁月) |