1934年3月31日、ワシントン州ブレマートン近郊の町、アーランド・ポイントでの出来事である。その日の朝、トーマス・サンダースはいつものように仕事に出掛けた。隣家の前を通りかかると、飼い犬が喧しく吠えている。
「はて、いつもはこんなに吠えないのに。何かあったのかな?」
裏手に回って様子を窺うと、3匹のプードルが車に閉じ込められていた。
「可哀想に。出られないんだな」
サンダースはドアを開けてプードルを解放した。
「こんなに吠えているというのに、飼い主は何をしているんだろう?」
不審に思ったサンダースは、窓から中を覗いて肝を潰した。血みどろの2つの死体が床に転がっていたからだ。慌てて自宅に戻ったサンダースは警察に通報した。
家の中には6つの死体があった。
フランク・フリーダー(45・この家の主人)
アンナ・フリーダー(51・フランクの妻)
ユージン・チェネヴェート(51)
マーガレット・チェネヴェート(48・ユージンの妻)
マグナス・ジョーダン(62)
フレッド・バルコム(56)
いずれも死後3日は経過していた。
サンダースが見つけた死体はマグナスとマーガレットだった。共に銃で撃たれていた。寝室ではアンナとフレッドがナイフで喉を切り裂かれていた。居間ではフランクとユージンがハンマーで撲殺されていた。つまり、犯人は3つの凶器を用意していたことになる。これだけの人数を一時に殺したのである。単独犯とは考えにくい。
おそらく犯人(たち?)は3月28日の晩、フリーダー宅に押し入った。そして、被害者たちを銃で脅して手足を縛り、金目のものを物色した後、証人を消すために順に殺害したのだろう。
なお、現場の浴室にはいずれの被害者とも異なる型の血痕が残されていた。犯人のものである可能性が高い。
捜査は主に聞き込みを中心に進められたが、犯人逮捕に結びつく証言は遂に得られなかった。
中にはこのようなものがあった。それはバーを経営する男の証言だった。
「うちで住み込みで働いているペギーって娘なんですけどね、事件があった日の翌朝にズブ濡れで帰って来たんですよ。靴も片方なくしてました」
早速、ペギー・パウロス(27)を尋問したところ、彼女はこのように弁明した。
「あの晩は船乗りの男に誘われて車に乗り込みました。でも、乱暴するので逃げ出しました。靴をなくしたのはその時です」
実は彼女は事件に深く関わっていたのだが、刑事はそのことを見破れなかった。
捜査が進展しないまま1年半が過ぎた頃、ラリー・パウロスという強盗の常習犯が、逮捕された際に警察にこのように明かした。
「うちの女房が毎晩のように悪夢にうなされているんですよ。で、聞き耳を立てるとフリーダーだの殺しただのとつぶやいている。あの事件と関係があるんですかねえ」
「うちの女房」がペギーであることは云うまでもない。ちなみに、ラリー・パウロスは事件当時、獄中にいた。
厳しく追及されたペギーは間もなく真相を告白した。
「私はあの男に云われるままに手足を縛っただけなんです。だけど、まさか殺すなんて…。私は慌ててその場から逃げ出しました」
「あの男とは誰だ?」
「レオ・ホールという船乗りです。今、何処にいるのかは知りません」
実はレオ・ホール(33)は既に捜査線上に上がっている人物だった。事件の翌日、同僚に頭を怪我しているのを見られていたのだ。どうしたのかと訊かれると「酒場の喧嘩に巻き込まれた」と答えたという。彼の血液型は浴室に残されていた血痕と一致した。
間もなくオレゴン州ポートランドで逮捕されたレオ・ホールは、死刑判決を下されて、1936年9月11日に処刑された。絞首刑だった。
ちなみに、ペギー・パウロスも同様に裁かれたが、無罪放免になっている。
(2011年1月4日/岸田裁月) |