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ヴォーン・グリーンウッド
Vaughn Greenwood
a.k.a. The Skid Row Slasher (アメリカ)



逮捕時に負傷したヴォーン・グリーンウッド

 1974年12月から翌1月にかけて、ロサンゼルスのドヤ街で7件もの殺人が相次いだ。

 チャールズ・ジャクソン(46)
 モーゼズ・ヤカナック(47)
 アーサー・ダーステッド(54)
 デヴィッド・ペレス(42)
 カシミール・ストラヴィンスキ(58)
 ロバート・シャナハン(46)
 サミュエル・スアレズ(49)

 いずれも喉を掻き切られていた上、遺体の周りには塩が撒かれ、そばには血で満たされたコップが置かれていた。被害者の靴が脱がされて足下に置かれていたのも奇妙である。それは恰も何かの儀式のようだった。
 マスコミにより「スキッド・ロウ・スラッシャー」と命名された犯人は、1月下旬にはハリウッドに移り、更に2人を血祭りに上げた。

 ジョージ・フリアス(45)
 クライド・ヘイズ(34)

 その頃、ロス市警は目撃証言に基づき「20代後半から30代前半の、ブロンドの髪を肩まで伸ばした白人男性」を追っていた。また、犯罪心理学者は犯人を「ホモセクシャルだが性的不能者」と推測していた。

 2月2日、やはりハリウッド在住のウィリアム・グレアムが侵入者に手斧で襲われる事件が発生。その時、たまたま友人が訪問していたためにどうにか難を逃れた。逃走した襲撃者は現場に手紙を落としていた。その宛先を捜索した警察は「スキッド・ロウ・スラッシャー」の被害者の1人、ジョージ・フリアスから盗んだカフスボタンを発見した。
 かくして逮捕されたヴォーン・グリーンウッド(31)は黒人で、ホモセクシャルではあったが性的不能者ではなかった。おかげでロス市警の面子は丸潰れだ。

 ペンシルバニアの孤児院で育ったグリーンウッドは、カリフォルニアに脱走し、日雇いの仕事をしながら各地を転々とした。1964年11月に以下の2人を殺害していたが、この件では裁かれることはなかった。

 デヴィッド・ラッセル(年齢不詳)
 ベンジャミン・ホルンベルグ(67)

 その後、シカゴに逃げ延びた彼は、1966年にマンス・ポーター(70)の傷害容疑で逮捕され、5年半服役する。性行為に応じたのに金を払わなかったので半殺しにしたのだという。つまり彼は男娼もしていたのだ。
 そして、出所後に元を取り戻すかのように盛大に殺したのである。主な目的は強盗だが、殺しを楽しんでいたことは間違いない。

 かくしてハリウッドでの2件、次いでロスでの7件で裁かれたグリーンウッドは終身刑を宣告された。その際、判事は決して釈放してはならない旨を明言した。何故なら「この男の存在は如何なるコミュニティーにおいても脅威である」。

(2009年2月7日/岸田裁月) 


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)


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