2000年12月20日、一人の男が48年前の汚名を晴らした。再審で無罪を勝ち取ったのである。男の名はイアン・ゴードン。既に68歳になっていた。
1952年11月13日、北アイルランドの首都ベルファスト郊外で、高名な裁判官の娘、パトリシア・カラン(19)の無惨な遺体が発見された。恰もショットガンで撃たれたかの如く胸部が穴ぼこだらけである。ところが、それはいずれも刺し傷だった。彼女は実に37ケ所も刺されていたのだ。どうしてそんなに刺す必要があったのか? 衣服は引き裂かれていたが、性的に虐待された形跡はない。犯人の目的はいったい何だったのか?
彼女は前日の午前に大学に出掛けて、その帰路に襲われたものと思われる。ところが、いつもの彼女はバス停に着くと自宅に電話を掛けて、迎えの車で帰宅していたにも拘らず、その晩は電話を掛けなかった。しかも、遺体発見現場は自宅の近く。いったい何があったのか?
やがて近隣に住む少女から目撃情報が寄せられた。その晩、被害者は「若い兵隊さん」と一緒に歩いていたというのだ。かくして近くの空軍基地に勤務するイアン・ゴードン(20)が容疑者として浮上した。彼はパトリシアの兄デズモンドの知り合いで、彼女とも面識があったのだ。
犯行を裏づける証拠は何もなかった。あるのは供述調書のみだった。つまりゴードンは自白のみで有罪となったのだ。そして、その自白が強要されたものであることが認められて、再審で無罪となったのである。
なお、ゴードンが自白に応じたのは、取調官に「お前がゲイであることを公表するぞ」と脅されたからだという。酷い話である。
1953年3月の有罪判決後、精神異常と診断されたゴードンは精神医療施設に収容され、7年後に釈放された。名前を変えて職につき、そして、定年を迎えた1993年から再審請求を始めたのである。汚名を晴らすために48年もかかったのは、こういうわけだったのだ。
では、パトリシア・カランは誰が殺したのか?
その答えは神のみぞ知る。永遠の謎である。
(2011年5月19日/岸田裁月)
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