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エクトール・エスクデロ
Hector Escudero (プエルトリコ)



炎上するデュポン・プラザ・ホテル

 それは1986年12月31日の大晦日の出来事だった。プエルトリコ北東部の港湾都市、サンフアンにあるデュポン・プラザ・ホテルでは従業員のストライキが予定されていた。強硬派の中には「ホテルに爆弾が仕掛けられているので、宿泊客は全員退去すべき」などというデマを流す者もいた。そして、実際に火をつける馬鹿まで現れた。おかげで97人が死亡し、140人が負傷した。まさかこれほどの大惨事になるとは、当人たちも思いも寄らなかったことだろう。

 火が放たれたのは午後3時30分、1階にあるダンスホールの倉庫においてだった。おそらくボヤ騒ぎを起して、経営者を脅すつもりだったのだろう。ところが、火の手はみるみるうちに広がり、ダンスホールに隣接するカジノの出入口を塞いでしまった。
 ほとんどの犠牲者はこのカジノにいた客だった。鎮火後に現場を検証した捜査官曰く、

「壁にはいくつもの遺体が直立のまま貼り付いていました。ピアニストはピアノの前で死亡しており、あたかもまだ弾いているかのようでした。多くの犠牲者がテーブルに座ったままで、まるで気味の悪い蝋人形館でしたよ」

 火の手が回るのが相当早かったことが窺える。このホテルにもニュージャパンと同様にスプリンクラーが設置されていなかったのだ。

 間もなく下手人として主犯格のエクトール・エスクデロ(35)とホセ・リヴェラ(40)、アルマンド・ヒメネズ(28)の3人が逮捕された。米ウィキペディアによれば、ヒメネズは2001年に、リヴェラは2002年に仮釈放が認められ、現在服役中なのはエスクデロだけのようである。

(2010年2月26日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)
http://en.wikipedia.org/wiki/Dupont_Plaza_Hotel_arson


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