ダイアン・ダウンズ |
ダイアン・ダウンズと子供たち 左からダニー、クリスティー、シェリル 犯行現場のオールド・モホーク・ロード |
1983年5月19日木曜日、オレゴン州スプリングフィールドでの出来事である。午後10時30分頃、赤いニッサン・パルサーがマッケンジー=ウィラメット病院の救急搬入口前に乗りつけて、間断なくクラクションを鳴らし続けた。駆けつけた看護婦は訊ねた。 |
入院中のダイアン・ダウンズ |
とにかく、ダイアン・ダウンズについて調べる必要があった。いったいどんな女なのか? 銃を持った狂人が実在するのならば、彼女とはどういう関係なのか? 全くの行きずりなのか、それとも知り合いなのか? 捜査官は彼女の同意を得て、居所を捜索することにした。 |
ルー・ルイストン |
事件の1週間後、アリゾナ州チャンドラーに出向いた捜査官はルー・ルイストンに出頭を求めた。この時点では彼は容疑者の一人だった。 |
スティーヴ・ダウンズとダイアン |
間もなく鑑識が重大な事実を発見した。ダイアンの居所から押収された22口径ライフルから取り出されたカートリッジのいくつかが、子供たちを撃った銃に一度装填されたものであることが判明したのである。エキストラクターの痕が、犯行現場で押収されたカートリッジのそれと同じだったのだ。ダイアンが所持していた行方不明のルガーが凶器と見て、まず間違いないだろう。 |
裁判中のダイアン・ダウンズ(妊娠中) |
ダイアンがようやく逮捕されたのは1984年2月28日のことだった。クリスティーがどうにか話せるまでに回復したのだ。彼女の証言がダイアンを有罪に出来るか否かの鍵だった。しかし、鬼畜の母親を目の前にして、彼女はきちんと話せるだろうか? 検事はクリスティーとまめに面会し、信頼関係を築くことに専念した。 |
法廷で再現されたシェリル銃撃の状況 |
その後、法廷には車の実物大模型が運び込まれ、検事により犯行の手順が説明された。 (2011年12月7日/岸田裁月) |
参考資料 |
『スモール・サクリファイス〈上〉虐待の連鎖』アン・ルール (実業之日本社) |