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クリスチャン・ドルニエ
Christian Dornier (フランス)



クリスチャン・ドルニエ

 スイスとの国境付近の町、ルクシオールに暮らす31歳の農夫、クリスチャン・ドルニエは寡黙で無愛想な男だった。隣人曰く、
「皆が彼を恐れていました。友達は一人もおらず、誰とも話しませんでした。いつか何かを仕出かすんじゃないかと思われていたんです。結局、未然に防ぐことは出来ませんでした」
 そう。それは突然、何の前触れもなく起こったのだ。弟のダニエル曰く、
「云い争いがあったわけではありません。兄はいきなり妹を撃ったんです。そして、警察に通報しようとした母も撃ちました」
 1989年7月12日、ドルニエはまず父親のジョルジュにショットガンを発砲、負傷させた後、牛の人工授精のために招かれていた獣医のマルセル・ルキネ(45)も銃撃して死に至らしめた。続けざまに妹のコリーヌ(26)と母のジャンヌ(57)を亡き者にした後、血迷ったガンマンはハンティングに出掛けたのである。

 表の通りではジョニー・マッソン(14)とヨハン・マッソン(10)の兄弟が自転車で遊んでいた。ドルニエは子供だからといって容赦はしない。躊躇うことなく射止めると、愛車のゴルフを走らせて次の獲物を探し始めた。
 もちろん、憲兵や町民も応戦したが、ドルニエの狼藉を止めることは出来なかった。

 スタニスラス・ペリラール(79)
 マリー・ペリラール(81)
 ルイ・キュエノ(67)
 ルイ・リャール(50)
 ポーリン・フェーヴル=ピエレ(5)

 ドルニエ自身も被弾したが、降伏はしなかった。隣町に逃げ延びて、そこでまたマンハントを続けたのだ。

 ルイ・ジラルド(47)
 ジョルジュ・ペルナン(40)
 マリー=アン・シャンプロイ(?)
 ピエール・ブーフ(?)

 そして、更に隣町に逃げ延びたところで、ようやく憲兵に射止められたのである。死者14人、負傷者8人の大惨事である。

 やがて傷が癒えたドルニエは法廷に引っ立てられたが、彼を裁くことは出来なかった。精神異常と診断されて、精神病院に収容されたのである。町民の心の傷は癒えぬままだ。

(2009年3月24日/岸田裁月) 


参考文献

『THE ENCYCLOPEDIA OF MASS MURDER』BRIAN LANE & WILFRED GREGG(HEADLINE)


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