この物語には2人の我が強い女性が登場する。
1人はマリー・リエル。46歳のフランス人で、3代目ルーカン卿の妾としてロンドンの高級住宅地、パークレインに囲われていた。ちなみに3代目ルーカン卿ことジョージ・ビンガムは、クリミア戦争における「光の援軍(Charge of the Light Brigade)」の無謀な指揮者として悪名高き人物である。
もう1人はマーガレット・ディブラン。28歳の体格のいいベルギー人で、料理人としてマリーに雇われたばかりだった。
我が強い2人が一つ屋根の下で暮らすわけだから、云い争いは初日から絶えなかった。そして、1週間後にはマーガレットは解雇されてしまう。支払われた給金は、当然ながら1週間分だけだった。これにマーガレットが猛然と抗議した。
「契約では1ケ月ごとに更新することになっています。だから1ケ月分の給金を頂きます!」
「なに寝ぼけたこと云ってんのよ! 1週間しか働いてないんだから、給金も1週間分なのは当り前じゃないのよ!」
「ならばここであと3週間働かせて頂きます!」
「バカ云ってんじゃないわよ! あんたはクビになったのよ!?」
「いいえ。断固として働かせて頂きます!」
「判ったわ。勝手に働けばいいわ。だけど給金は一切払いませんからね!」
このやり取りを目の当たりにした小間使いの少女、イライザ・ワッツはただオロオロするばかりだった。2人の会話はすべてフランス語だったので、何を云い争っているのか、さっぱり判らなかったからである。
運命の時が訪れたのはその約1週間後、1872年4月7日のことである。その日は日曜日で、午後には友人を招いて細やかなパーティーを催す予定だった。準備は整っているのかしらとマリーが2階のキッチンに向かうと、そこにはあのマーガレットの姿があった。
「あんた、まだこの家にいたの!」
「当然でございます。1ケ月分の給金を頂くまでは働かせて頂きます」
「図々しいわね。そんなに金が欲しけりゃ道端で物乞いでもすればいいのよ。その方があんたにはお似合いよ!」
これには相当カチンと来た。マーガレットは云い返した。
「そういうあんたもいつから物乞いをするのかしら? 妾は男に捨てられたらおしまいよ!」
「なんですって!」
かくして取っ組み合いの大喧嘩に発展したわけである。そして、気がついたらマリーは階段から転がり落ちて絶命していたとはマーガレットの弁。目撃者がいないのでどこまで本当だか判らない。
その後、マーガレットは小間使いのイライザを呼び寄せて買い物に行かせ、その間に遺体の首にロープを巻きつけ、2階まで引っ張り上げると食料貯蔵庫に仕舞い込んだ。
実はマリーはまだ生きていて、ロープで引っ張り上げることで絶命したのではないかとの見解もあるが、その真偽は不明である。なにしろ当時は法医学がそれほど進んではいなかったのだ。
やがてイライザが買い物から戻り、パーティーの客人も現れたが、主人のマリーは不在である。
「どうしたのかしら?」
「さあ、どうしたんでしょう」
などとしらばっくれて応対していたマーガレットは、客人を帰すと金庫を開けて現ナマを着服。
「1ケ月分以上盗ったど〜!」
と叫んだかどうかは知らないが、とにかく、その足でヴィクトリア駅に向かい、臨港列車に乗り込むとパリに高飛びしたのである。
マリーの遺体は翌日、舞台稽古から帰宅した娘で女優のジュリー・リエルにより発見された。すぐさま指名手配されたマーガレットの足取りを辿るのは簡単だった。彼女をヴィクトリア駅まで運んだ馬車の御者は運賃を巡って揉めたことを憶えていた。ヴィクトリア駅の駅員も運賃を巡って揉めたことを憶えていた(夜間の臨港列車は全て1等席の料金だった)。つまり、マーガレットのしみったれな性癖と片言の英語が災いしたのである。
かくしてパリで逮捕されたマーガレット・ディブランは、ロンドンに移送されて有罪となり、死刑を宣告された。但し、処刑の8日前に猶予された。被害者たるマリー・リエルの高飛車な態度が考慮されたようだ。喧嘩両成敗ってことなのかな?
(2011年6月12日/岸田裁月)
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