それは1933年の初夏、マサチューセッツ州ピーバディーでの出来事である。果物の行商人、エアーズ夫人はお得意さんのジェシー・コステロに呼び止められた。
「今日は何がお勧め?」
「クランベリーのいいのが入ったわよ」
「じゃあ、それを1ポンドお願いするわ」
とジェシーは財布を取りに奥に引き下がる。数十秒後、
「キャーッ!」
ジェシーの悲鳴が響き渡った。いったい何があったというのか?
彼女の夫、ビル・コステロが寝室の床で冷たくなっていたのである。
消防士のビルは前日は夜勤で、早朝に帰宅し、睡眠中の筈だった。それがどうして死んでいなければならないのか? 検視解剖をしたところ、なるほど、こりゃ死んで当然だ。致死量の青酸カリを服用していたのである。
近隣一帯の聞き込みにより、ジェシーが前日に薬局で青酸カリとシュウ酸を購入していたことが判明した。問いただされた彼女は釈明した。
「それは錆びたボイラーを磨くために買ったんです。それに私は毒だなんて知りませんでした」
そんな筈はないですよとは薬局店主の弁。
「双方とも猛毒だって説明しましたよ。当り前じゃないですか」
かくしてジェシー・コステロは夫殺しの容疑で逮捕された。
ジェシーの逮捕は近隣住民に衝撃を与えた。人当たりのいい良妻賢母として知られていたからだ。あんなにいい人が何でまた? 何かの間違いじゃないかしら。
7月から執り行われた裁判において、青酸カリはカプセルに入れられた状態で投与された可能性が高いことが専門家から指摘された。これに対して弁護人は反論した。
「彼女には医学的知識はありません。カプセルなんか使える筈がないじゃないですか」
ところが、検察側はこの件に関して証人を用意していた。ジェシーの隣人である。
「以前、彼女に看病してもらった時のことです。このお薬は苦いから、とカプセルに入れてくれました」
ジェシーにとって致命的な証人は、エディ・マクマホンという地元警官だった。彼はなんと、ジェシーと不倫の関係にあったことを法廷で告白したのだ。
「あれは私が交通整理をしていた時でした。被告人と眼が合った途端に、たちまち恋に落ちてしまったのです」
それからというもの、2人は逢瀬を重ねていたというのだ。時には自動車の中で。時には夫が不在の彼女の家で。
もちろん、ジェシー側は真っ向から否定した。
「あんな男は知らないし、どうしてそんな嘘をつくのかも判りません!」
弁護側の主張は「ビルは自殺だった」というものだ。ジェシー曰く、
「あの人は見かけは明るい人でしたが、家では鬱ぎ勝ちだったんです」
つまり、躁鬱の気があることを主張したのだ。また、近所にある映画館の支配人を法廷に呼び出して、ビルが最近『Payment Deferred』を観たことを証言させている。チャールズ・ロートン主演のこの映画には、青酸カリによる自殺のシーンがあるのだそうだ。
さて、検察側と弁護側、双方の意見は出揃った。その判定や如何に?
なんと、陪審は意外にも弁護側に分がありとして無罪を評決したのである。それほどにジェシー・コステロという女性が夫殺しとは無縁の好人物に見えたということなのだろうか?
私見では、彼女は限りなくクロである。事件の前日の青酸カリを入手しているのだ。偶然にしてはちょっと出来過ぎている。
ところで、哀れなるは「ジェシーの不倫相手」と証言したエディ・マクマホンである。「この大嘘つきめ!」と罵倒され、警察をクビになったばかりか、「Kiss & Tell Cop」との綽名で揶揄されたという。でも、なんかいい響きだね「Kiss & Tell Cop」。
(2009年11月25日/岸田裁月) |