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キティー・バイロン
Kitty Byron (イギリス)


 

 23歳のキティー・バイロンはなかなかの美人だったようだ。否。美人というよりも可愛らしいというべきか。参考文献には「adorable Kitty」とある。そんな彼女はロンドンのウェストエンドで、株式仲買人のアーサー・レジナルド・ベイカー(通称レッジ)と共に暮らしていた。籍は入れていなかったが、2人は「ベイカー夫妻」と名乗っていた。
 当初は極めて仲のよいカップルだった。ところが、数ケ月も経つ頃にはレッジがキティーに飽き始め、飲み歩くことが多くなった。それでも彼女は不平も云わず、献身的に尽くし続けた。

 それは1902年11月の或る金曜日の晩のことだった。ベイカー夫妻のフラットから悲鳴が上がり、近隣一帯に響き渡った。大家のおばさんが駆けつけると、室内はしっちゃかめっちゃかだ。それでもキティーは「何でもないの」と作り笑いを浮かべながら云った。
「彼がちょっと酔ってるだけなの」
 再び騒動が持ち上がったのは午前1時を回った頃だ。大家のおばさんがまたしても駆けつけると、このたびはキティーは床に倒れていた。それでも彼女は「何でもないの」と作り笑いを浮かべながら云った。
 どうやらレッジという男は、酒を飲むと暴力を振るうようだ。

 翌朝、大家のおばさんは2人に警告した。
「今度、騒ぎを起こしたら出て行ってもらうよ!」
 週末は何事もなかった。2人の仲は修復されたかに思われた。ところが、月曜日の朝、レッジが仕事に向かう前に大家を訪ねて、このように告げた。
「実は私たちは夫婦じゃないんです。すべてのトラブルはあいつが原因なんです。明日にも追い出しますから、許しちゃくれないでしょうか?」
 これを立ち聞きしていた女中がキティーにチクる。すると彼女は烈火の如く憤り、
「今日中にあいつを殺す!」
 と息巻いた。これを宥める大家のおばさん。
「どうして別れないの?」
 と問いただすと、キティーは涙ながらにこう答えた。
「だって、愛しているんですもの」
(I can't because I love him so.)

 午後1時頃、ロンバード・ストリート郵便局に現れたキティーは、株式取引所への速達便を依頼した。
「愛しのレッジへ。今すぐ会いたいの。キティー」
 間もなくレッジが配達人の少年に連れられて郵便局に現れた。彼女は2ペンスの駄賃を払い、少年にレッジを連れて来るように頼んでいたのだ。
 郵便局を後にするや否や、2人は激しく罵り合った。と、突然、キティーは隠し持っていたナイフでレッジの胸と背中に切りつけた。ほぼ即死だった。通行人の1人が羽交い締めにしてナイフを奪うと、彼女はその手を振り払い、愛しい人の亡骸にすがりついて、
「キスさせて、私のレジー…キスさせて、私の夫」
 警官が駆けつけるまでの間、彼女はすすり泣いていたという。

 それにしても、どうして彼女は郵便局前で殺害に及んだのだろうか? というのも、その日は市長就任披露のパレードが予定されており、郵便局前は見物人でごった返していたのだ。これでは逃げも隠れも出来ないではないか。
 思うに、彼女は逃げるつもりはなかったのだろう。おそらく、ルース・エリスの場合と同様に、愛しい人と心中するつもりだったのだ。

 キティー・バイロンの弁護を担当したのは文豪チャールズ・ディケンズの息子、ハリー・ディケンズだった。法廷でレッジの言動が明かされると、誰もがキティーに同情した。裁判長でさえも、
「本件を打ち切りにしたいというのが私の正直な思いです」
 と明かしたほどである。しかし、目撃者が20人もいる。訴追しないわけには行かない。かくして死刑判決が下されて、後は政治判断に委ねられた。内務大臣の計らいで終身刑に減刑されたキティーは、6年後の1908年に釈放されたわけだが、果たして彼女の心境や如何に? その後に良い伴侶に恵まれたことを、ただただ願うばかりである。

(2009年6月23日/岸田裁月) 


参考資料

『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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