稀代の毒婦、ライダ・キャサリン・アンブローズの生い立ちについては、1891年にミズーリ州で生まれたこと以外は殆ど何も判っていない。そして、後に5人の男(うち4人は夫)を殺害したことが発覚し、その名を歴史に刻むことになる。
最初の犯行は1917年のことである。25歳になったライダはミズーリ州キーツヴィル在住の男と婚約する。ところが、男は結婚直前に急な腹痛に見舞われてポックリと逝ってしまう。彼は2500ドルの生命保険に入っていた。受取人は将来の花嫁たるライダだった。
間もなくライダは亡くなった男の兄弟(兄か弟かは不明)と結婚する。しかし、結婚生活は3ケ月と続かなかった。またしても夫が急な腹痛に見舞われてポックリと逝ってしまったからだ。彼もまた2500ドルの生命保険に入っていた。受取人が誰かは云うまでもないだろう。
やがてライダは逃げるようにアイダホ州ツインフォールズに移り住み、ウェイトレスとして住み込みで働き始めた。次に毒牙にかかったのが、そのレストランのオーナーだった。結婚したのが1918年6月。そして、3ケ月後にはポックリといういつものシナリオだ。ところが、このたびは彼女は保険金を受け取ることが出来なかった。亡き夫が保険契約書にサインするのを忘れていたのだ。ああ残念無念のこんこんちき。
その後、ライダは2年足らずの間に2度結婚し、そのたびに僅か3ケ月で夫がポックリ。それぞれ1万ドルと1万2千ドルの保険金を手にしている。そんな女が疑われない筈がない。1920年11月には彼女はお尋ね者になっていた。そして、逃亡先のカリフォルニア州オークランドで遂にお縄となった次第である。彼女はこの地でも、次なる獲物を物色していたというから恐ろしい話だ。
ライダの居所からは大量の蠅取り紙が押収された。云うまでもないが、当時の蠅取り紙には砒素が用いられていたのだ。そして、夫の遺体からも大量の砒素が検出された。もやは云い逃れは出来なかった。
かくしてライダは第一級殺人で有罪となり、終身刑を云い渡された。1932年5月には脱走を試みているが、翌年にカンザス州カンザスシティで逮捕された。既に死亡している筈だが、その年月日は不明である。
(2011年4月22日/岸田裁月) |