チャールズ・ウォルトンの遺体 |
それは1945年2月14日、聖ヴァレンタイン・デーの出来事である。ロウワー・クイントンに住むチャールズ・ウォルトンは74歳の高齢にも拘らず矍鑠としており、その日も三つ叉と鎌を携えて、近隣のメオン・ヒルにあるアルバート・ポッターの農場へと出向いた。同居する姪のイーディスが聞いたところによれば、農場の生け垣を手入れに行くとのことだった。
イーディスも近くの工場に働きに出掛けた。午後6時に帰宅したが、叔父はまだ帰っていなかった。
おかしいな。いつもは4時には帰っているのに。
心配したイーディスは隣に住むハリー・ビースリーのドアを叩いた。
「あの、叔父がこちらに伺っていませんか?」
「いや、来てないよ。まだ帰ってないのかい?」
「はい」
「そいつは心配だなあ。待ってな。今コートを取って来るから」
この季節のこの地方は午後6時を過ぎれば暗闇に包まれる。グーグルの地図で「Meon Hill, Lower Quinton, UK」を検索してみたまえ。いまだに街灯ひとつない田園地帯である。おまけにその日は霧がひどかった。
イーディスとビースリーは松明を手にポッターの農場に向かった。叔父はそこにもいなかった。
「ウォルトンさんを最後に見たのは霧が出る前だ。遠くから見ただけだが、生け垣の手入れをしていたよ」
ポッターは2人をウォルトンがいた場所に案内した。
「叔父さ〜ん!」
「ウォルトンさ〜ん!」
やがて松明の灯が地面に転がる人の姿を照らし出した。チャールズ・ウォルトンだった。喉を鎌で切り裂かれた上、首には三つ叉が突き立てられている。ポッターが抜こうとしたが抜けなかった。それは地面に6インチもめり込んでいたのである。腕にはいくつもの切り傷があり、このことはウォルトンが身を守ろうとしていたことを意味していた。また、胸には十字の形の切り傷があった。いったい何処のどいつが74歳の老人をかくも無惨に殺害したのであろうか?
ロマンティックな日に起きた田舎町の猟奇事件にイングランド市民は釘付けになった。やがてスコットランド・ヤードからロバート・ファビアンが派遣された。「Fabian of the Yard」の通り名で知られる当代随一の敏腕刑事だ。
ファビアンは怨恨の線で捜査を進めたが、地元警察のアレック・スプーナーが異議を申し立てた。これはオカルト殺人だというのである。彼は『民間伝承〜シェイクスピアの国の古い風習と迷信』(J・ハーヴェイ・ブルーム著・1929年)という本に記載されている事件との類似性を指摘した。
1875年、ジョン・ヘイウッドという若い男が処刑された。彼は近所に住むアン・ターナーという老夫人を魔女だと思い込み、殺害したのである。ヘイウッドはこのように弁明した。
「この村はあいつに呪われていたんだ。俺はあいつに復讐しただけなんだ」
彼女の首には三つ叉が突き立てられ、胸には十字の形の切り傷があった。この本によれば、それは古来から伝わる魔女の殺害方法だという。
また、この本には、1885年に「チャールズ・ウォルトン」という名の若い男による「黒犬」の目撃談が記載されている。「黒犬」とはイングランドにおける「人面犬」の類いのもので、不吉の前兆とされ、時には亡霊の飼い主を伴って現れる。「チャールズ・ウォルトン」も首のない女を目撃した。数日後に妹が死んだとされている。
「この『チャールズ・ウォルトン』なる人物は、本件の被害者と同一人物なのかね?」
「いえ、そこまでは判りませんが、被害者が魔術師(witchcraft)ではないかと噂されていたのは事実であります。彼は動物と話すことができたとの証言もあります」
「単に動物好きだっただけなんじゃないのかね?」
「いずれにしても、あの不可思議な遺体の状況は、被害者が魔術師だと思われて殺害されたのでなければ説明できません」
結局、事件は迷宮入りした。ファビアンは犯人逮捕に結びつく証拠を何一つ発見できなかった。
この点、ファビアンは犯人のあたりをつけていたとの見解がある。それは農場主のアルバート・ポッターである。コリン・ウィルソンによれば、ポッターはウォルトンに多額の借金をしていた。ウォルトンが農場に出向いたのは生け垣の手入れのためだけではない。返済の催促が主な目的だったのだ。返せ、返せないの押し問答の挙げ句に、勢い余ってポッターはウォルトンを殺してしまう。そこでオカルト殺人に偽装するため、首に三つ叉を突き立て、胸に十字架を刻んだのだ。この説によれば、ポッターが三つ叉を抜こうとしたのは、指紋の問題をクリアするためだということになる。
真相はこんなところなのかも知れないが、ハリー・ポッターの国で起きた魔術師がらみの猟奇事件は依然として解決をみていない。
(2008年5月6日/岸田裁月)
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