名前を変えたジャンヌはパリを離れてフランス中部のシャンボンという町に移り住んだ。ここでシルヴァン・バヴーゼという男やもめに女中として雇われると、まもなく幼い息子のオーギュストが急死。
「このおばさん、どこかで見た顔だなあ」
不審に思ったオーギュストの姉が女中の荷物を調べると、中から「グット=ドールの鬼婆」に関する新聞記事の切り抜きがゴソッと出て来て、誰だか判った。
「鬼婆だあ。鬼婆のしわざだあ」
かくしてジャンヌは再び逮捕されて法廷に立ったわけだが、検視に当たったのはまたしてもレオン・ソアノ博士だった。殺人の痕跡はこのたびも見つけられず、ジャンヌは無罪放免となった。
もういい加減に終わりにしたい気分だが、物語はまだ終わらない。
再び名前を変えたジャンヌは、あろうことか小児科病院に雇われた。ここでは現実に患者の首を締めている彼女の姿が目撃されている。ところが、風評を恐れた院長は彼女を解雇するに留めた。この時に告発していれば、マルセルは死ぬことはなかった。
三たび名前を変えたジャンヌは売春婦に落ちぶれて、ポワロ夫妻が経営する下宿に間借りしていた。やがて彼女は3歳の息子マルセルに興味を示す。
「あたしにもかつてマルセルくらいの子がいたんですよ。でも、病のために死んでしまって…」
「あら、それはお気の毒に」
「今夜、マルセルに添い寝してもよろしいかしら?」
さあ、当殺人博物館恒例の「しむら〜うしろ〜」コールの時間がやってまいりました。
3、2、1、はい。
えっ? なに? しむらではないし、うしろにもいない? ああ、そうだったそうだった。たしかにしむらでもないし、うしろにもいない。これは失礼致しました。
とにかく、このたびの彼女はマトモではなかった。1908年5月10日、深夜に悲鳴を聞いたポアロ夫妻が駆けつけると、馬乗りになったジャンヌがマルセルの首を絞めていた。舌が飛び出し、血が溢れている。夫妻が止めに入ってもジャンヌは止めようとはしなかった。狂っているとしか思えなかった。
検視に当たったレオン・ソアノ博士も、このたびは殺人の痕跡を認めざるを得なかった。しかし、これが初犯と断言した。「冤罪を着せられたために発狂した」と云うのだが、果たしてそうだろうか? 己れの検視がいい加減だったのではなかったか?
その真偽については水掛け論になるので深追いはしないが、明らかに常軌を逸していたジャンヌ・ウェバーは癲狂院に送られて、2年後に自らの首を絞めて自殺した。その両手は喉に食い込み、口からは泡を吹いていたという。
註:「Weber」は「ヴェベール」と表記するのが正しいようだが、我が国では既に「ジャンヌ・ウェバー」で通っているので、ここでも「ウェバー」と表記する
(2007年1月17日/岸田裁月)
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