殺人者は大概、何らかの動機を持っているものだが、時として全く欠落している者も存在し、その典型例がこのハンス・ファン・ゾンである。文献を読む限り、殺人が如何にも唐突で、それに至るプロセスが窺えないのだ。思いついたから殺してみた。そんな感じだ。人を殺すために生まれて来たような男である。
1942年にユトレヒトで生まれたハンスは、母親に「ひとかどの人物」になるように諭されて育った。不甲斐ない夫を恥じてのことだった。しかし、内向的なハンスは母親の期待に答えられそうにもない。年下の子供としか遊ぶことが出来ず、むしろ一人空想の世界に浸ることを好んだ。ウォルター・ミティのような少年だった。
あるいは小説家になれば大成したかも知れない。しかし、彼が選んだ道は詐欺師だった。虚言癖がゆえに職場を転々としたハンスは、16歳の時にアムステルダムに出た。そこで彼は様々な役割を演じた。ある時は私立探偵。またある時は映画スター。実業家、ファッション・デザイナー、パイロット等々。ママゴトの延長で大都会をのらりくらりと渡り歩いた。ハンサムな彼はとにかくモテた。相手は女性に限らなかった。
ハンスの最初の殺人は1964年7月とされている。エリー・ハーゲル・セゴフという娘をデートに誘い、終電がなくなっちゃったよと彼女の部屋に上がり込んで一発。休憩を挟んで二発目に取りかかろうとしたら拒絶されて、気がついたらハンスは彼女の首を絞めていた。そして、パン切りナイフで喉を切り裂いた。
如何にも唐突である。
自供によれば、1965年にクロード・バークレーというゲイの映画監督を殺害している。しかし、後に撤回し、このように釈明した。
「実際に殺したわけじゃない。殺しを幻視しただけだ」
空想と現実が混乱しているかのような発言である。
やがてハンスはキャロリーヌ・ジーリというホテルのメイドと結婚する。ところが1967年の初め、彼女は警察に駆け込むと、このように申し立てた。
「夫が私を殺そうとしている!」
当時保護観察中のハンスは1ケ月ほど監獄に放り込まれた。おかげで彼女は殺されることはなかった。
その年の4月にはコビー・ファン・デル・ヴォールトを殺害した。催淫剤と偽って彼女に睡眠薬を飲ませたハンスは、鉛管で撲殺し、パン切りナイフで喉を切り裂き、挙げ句に屍姦を試みた。うまく行かなかったようだが、恰も「屍姦がしたかったから殺した」かのようだ。いったい何を考えているのやら。常人の理解の枠を越えている。
その後、酔った勢いでコビー殺しを自慢したハンスは、ウーデ・ノルという前科者のじいさんに弱みを握られ、強盗の片棒を担がされることになる。5月末にはヤン・ドンゼを、8月にはライヤー・デ・ブルインを鉛管で撲殺。しかし、ノルじいさんの愛人のウォールトマイヤー夫人殺しは失敗に終わり、彼女の通報により遂にお縄となるのだった。
かくして稀代の空想家にして殺人鬼、ハンス・ファン・ゾンは、少なくとも20年は釈放してはならない旨の勧告付きで、終身刑を宣告された。空想する時間がたっぷり与えられたというわけだ。
一方、共犯者のウーデ・ノルには7年の懲役刑が下された。
(2008年12月12日/岸田裁月) |