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ジョゼフ・ヴァシェ
Joseph Vacher
a.k.a. The French Ripper (フランス)



ジョゼフ・ヴァシェ

切り裂きジャック」は極めてエポックメイキングな事件だった。その異常な犯行が大きく報道されたことで、真似をする不埒な輩が続々と現れたからだ。「フレンチ・リッパー」と呼ばれたジョゼフ・ヴァシェはその典型例だ。彼は「切り裂きジャック」に関する記事をむさぼり読み、自分もいつかこうなりたいと夢見ていたのだ。

 ジョゼフ・ヴァシェは1869年、貧しい小作農の倅として生まれた。16人兄弟の14番目だったという。これだけ子沢山なればさぞ貧しかろう。
 やがて軍隊に入ったヴァシェは、情緒不安定なところがあったものの、なんとかうまくやっていた。ところが「切り裂きジャック」の記事に出会った頃からおかしくなり、自らの喉を切り裂こうとして除隊された。

 1893年、除隊されて間もないヴァシェはルイーズ・バランという娘に一目惚れ。求愛するも肘鉄を喰らう。叶わぬのならば無理心中とばかりに銃で彼女を3度撃ち、その場で自殺を試みた。銃口をこめかみに向けて発砲したのである。ところが彼女は死なず、己れも助かってしまう。脳に食い込んだ銃弾は摘出不能。顔面麻痺のハンデを負って癲狂院に収容される。1894年4月1日に「完治した」と判断されて釈放されるが、彼が一連の犯行を始めたのは翌5月20日のことだった。完治してないやんけ。

 1897年8月4日に偶然逮捕されるまでの3年余りの間に、ヴァシェは11人もの尊い命を奪った。うち4人が少年、6人は少女、残る1人は老婆だった。手口はいつも同じだ。まず喉をナイフで掻き切ると遺体を凌辱し、仕上げに滅多矢鱈と切り刻むのだ。典型的な快楽殺人である。
 ギロチンだけは免れたかったヴァシェは、責任無能力に持ち込むために、ことさらに常軌を逸した言動に終始した。検事は悪魔だ云々。神の啓示を受けた云々。しかし、そのことが却って判事の心証を損ねた。死刑判決が下されて、1998年12月31日に処刑された。その際にヴァシェは観衆に向ってこのように叫んだと伝えられている。

「イエスに栄光あれ! ジャンヌ・ダルクに栄光あれ! あらゆる時代の殉教者に栄光あれ! 私を有罪に導いた者に災いあれ!」

 あほ。有罪に導いたのはお前自身や。

(2007年1月2日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)
『SERIAL KILLERS』JOYCE ROBINS & PETER ARNOLD(CHANCELLOR PRESS)


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