1922年3月6日午前、ロンドン郊外のフラムでの出来事である。25歳のガートルード・イェイツは「オリーヴ・ヤング」という親しみやすく且つ憶えやすい源氏名で売春稼業に勤しんでいた。そんな彼女の住居兼仕事場にいつもの通り「お掃除おばちゃん」エミリー・スティールがやって来る。すると、彼女の部屋から1人の男が顔を出した。おばちゃんには見覚えがあった。近頃足繁く通っているお客さんだ。男はおばちゃんを一瞥するや口を開いた。
「ああ、おばちゃん。彼女はまだ寝ているから、掃除は後にしてくれないかなあ」
チップをくれたのでおばちゃんは大喜びだ。男はタクシーを拾うと、そそくさとその場から立ち去った。
しばらくして、もう起きた頃だろうとおばちゃんが部屋に立ち入ると、空のベッドは血みどろだあ。
ひえっ。
腰を抜かしたおばちゃんは、それでも勇気を振り絞って浴室を覗く。
そこには「オリーヴ・ヤング」が転がっていた。頭部を鈍器でめった打ちにされた上、首を部屋着の紐で絞められていた。
現場を捜索した警察は1枚の名刺を発見した。
「トゥルー少佐」
その日の夕方、自称「トゥルー少佐」はハマースミス・オデオンで観劇しているところを逮捕された。その男、ロナルド・トゥルーは、お掃除おばちゃんにチップをくれた男に間違いなかった。
と、ここまでならば極ありふれた事件である。本件が異彩を放ち始めるのはここからだ。
トゥルーの犯行であることは間違いなかった。彼はお掃除おばちゃんと別れた後、着衣を買い替えているが、その際にズボンの血痕を店員に目撃されている。また、現場から持ち去った指輪を2つ質入れしていることも確認済みだ。もはや云い逃れは出来ないかに思われた。
ところが、彼はこのような突飛な弁明を始めた。
「実はですね、私は以前から1人の男に悩まされ続けているんですよ。そいつは顔も背丈も私と全く同じで、しかも私の名前で悪さをしているんです。小切手を偽造したり、人を騙したり、盗みを働いたりと手に負えません。だから私は彼から身を守るために、いつも拳銃を携帯しているんです。
そんなわけでしてね、女を殺したのもそいつなんですよ」
トゥルーの奇行が目立ち始めたのは、第一次大戦中のことだ。空軍に入隊していた彼は、飛行機の衝突事故を起こして頭を打ち、それ以来「もうひとりの自分」のことを口走り始めたのだ。除隊になった後も「少佐」を名乗り、ケチな犯行を繰り返しては「もうひとりの自分」のせいにしていたようだ。
何分にも心の中のことなので本当のところは判らない。しかし、少なくともマトモではないことだけは確かである。法廷では死刑を宣告されたトゥルーであったが、時の内務大臣の計らいにより執行が猶予されてブロードムア送りとなった。そして1951年、完治することなく死亡した。60歳だった。
(2007年4月19日/岸田裁月)
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