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トッテナム事件
The Tottenham Outrage (イギリス)



10kmにも及ぶ大追跡

 1905年、ロシア第1革命が失敗に終わると、多くの無政府主義者がロンドンの貧民窟、イーストエンドに逃げ延びた。彼らは活動資金を得るために強盗を繰り返し、そのために帝都の治安は悪化の一途を辿っていた。そんな折りに起きた事件である。

 1909年1月27日朝、トッテナムのゴム工場に2人組の武装強盗が押し入った。ラトビア出身のアナーキスト、ポール・ヘルフェルドジェイコブ・ラピダスである。彼らは給料が詰まった現金袋を奪うと、工場の敷地に停めてある自動車を銃撃、ラジエーターに穴を開けて走れないようにしてから逃走した。

 この銃声を耳にした巡査たちが現場に駆けつけた。犯人の2人は銃を乱射しながら逃走し、左図2の地点でラルフ・ジョスリン(12)が流れ弾に当たって死亡、3の地点で巡査の1人、ウィリアム・テイラーが死亡した。

 彼らが逃げる先々の巡査たちが追跡に加わった。6の貯水地付近からは鴨撃ちのハンターたちもこれに加わり、犯人たちもいよいよ必死である。7の地点で路面電車に飛び乗ると、運転手を銃で脅して全速力で走らせた。一方、巡査たちは牛乳配達の荷馬車を借りて路面電車を追いかけた。ところが、8の地点で牽引していたポニーを撃ち殺されてしまう。それでもめげない巡査たちは、ある者は自転車を借りて、またある者は反対車線の路面電車を制止して追跡させた。

 9の地点で電車を乗り捨てた犯人たちは八百屋の荷馬車を奪うが、慣れないものだから思うように進まない。どうやらブレーキを外すのを忘れていたらしい。のろのろのろと進むうちに巡査たちに追いつかれてしまう。10の地点で馬車を乗り捨て、二手に分かれて逃走したが土地勘がない。ラピダスは11の地点で追い詰められた。もはやこれまで。銃口を己れのこめかみに当てると引き金を引いた。
 かたやヘルフェルドは12の地点でコテージに逃げ込み、住人たちを追い出すと、2階の窓から銃撃戦を繰り広げた。しかし、もう後がないことは明らかだ。観念した彼も銃口をこめかみに当てると引き金を引いた。

 この大追跡は実に10kmもの距離に及んでいた。費やされた銃弾は400発以上。2人が死亡し、7人の警官と14人の民間人が負傷した。
 奪われた現金袋は遂に発見されなかった。逃走経路のどこかで共犯者に投げ渡されたものと思われる。

(2007年1月20日/岸田裁月) 


参考文献

『恐怖の都・ロンドン』スティーブ・ジョーンズ著(筑摩書房)
『犯罪コレクション(上)』コリン・ウィルソン著(青土社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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