「ガス室で最初に処刑された女」として知られるジュアニータ・スピネルリは「公爵夫人(The Duchess)」とあだ名される冷酷且つ傲慢な女だった。刑務所長クリントン・ダフィーをして「女らしいところがまるでなかった」と云わしめたほどだ。スー族の血を引く彼女の若い頃はほとんど何も判っていない。ただ、かつてはレスラーをしていたことが裁判で明らかになっている。
とにかく、マイケル・シモーンというデトロイトのギャングの情婦になった彼女は、まだ十代の自分の娘をおとりに使って、敵のギャングを懐柔したり、恐喝したりしていたというからトンデモねえババアである。
1940年1月にシモーンと共にサンフランシスコに移住した彼女は、すぐさまゴードン・ホーキンス、ロバート・シャラード、アルバート・アイブスという3人のチンピラを仲間に加えて、強盗稼業に乗り出した。そして、4月にバーベキュー・スタンドを叩いた時に、遂に店主を射殺してしまう。しかも、その時に盗んだ袋の中身は、札束ではなく肉だったというから、いやはやなんとも、強盗失格である。
4月15日、この間抜けなギャング団はサクラメントに逃げ延びていた。反省会では誰からとなく、こんな言葉が飛び出した。
「シャラードがトロいからこんなことになったんだ」
「それに、あいつは口が軽すぎる」
「そうそう。あいつと仕事をするのはヤバい」
じゃあ殺っちゃまおうぜということで、睡眠薬入りのウィスキーをシャラードに飲ませて酩酊させて、サクラメント川に放り込んだ。もちろん、水着に着替えさせて、事故死であることを偽装することは忘れない。シャラードの遺体は翌日に発見された。
このまま何事もなければ事故死として処理されたかも知れない。ところが、「殺っちまおうぜ」と息巻いていたアイブスが、いざ殺っちまった後で「今度はおいらの番かも知れない」とブルってしまい、おまわりさあん、たすけてくださあいと警察署に駆け込んだ。そのために全てが露見し、一味は逮捕されたのである。
マイケル・シモーンとジュアニータ・スピネルリは共に死刑を宣告され、サンクエンティン刑務所のガス室で処刑された。一方、ゴードン・ホーキンスは終身刑、アルバート・アイブスは精神に異常ありとのお見立てで、癲狂院送りとなった。
(2007年11月27日/岸田裁月)
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