なにぶんにも古い事件なので(逮捕されたのは1809年)テキストが何通りもあり、どれが真実なのか判らない。澁澤龍彦氏は著書『毒薬の手帖』の中で「ナネッテ・シェーンレーベン」と表記し、このように記している。
「若い頃から盗みや夜の女をしていたが、男をみつけて二度も結婚し、二度とも亭主を殺し、三人目の情夫と結婚しようとして、カミソリで血管を切って狂言自殺を企てたこともある」
ところが、他のテキストによれば、彼女が売春を始めたのは「ツヴァンツィガー」という飲んだくれの夫に死なれてからのことである。彼女に幾分同情的な『連続殺人紳士録』では、売春については触れられておらず、
「未亡人となったアンナには借金と召使いとしてのわびしい未来しか残されていなかった。心まですさんでしまうような割りの合わない苦役を何年も何年も続けた結果、かつては美しかったアンナも、年齢よりもずっと老けた口やかましい意地悪婆さんになってしまった」
澁澤氏の記述とはかなり異なる。いずれにしても、アンナ・シェーンレーベンが凶悪な毒殺魔となったことだけは確かなようだ。
49歳になったアンナはグラゼルという判事の家で住み込みの女中をしていた。そして、ゆくゆくは後妻になりたいと願っていた。グラゼルは妻と離婚したばかりだったのだ。ところが、別れた妻が再びグラゼルに接近し始めた。元の鞘に納めてなるものか。アンナは彼女を砒素を盛った。
グラゼルに再婚の意思がないことを悟るや、諦めの早いアンナはすぐさま38歳で独身の弁護士、グローマンの下で働き始めた。アンナには11歳もの年の差にもかかわらず、彼を射止める自信があった。ところが、グローマンは他の女と婚約してしまう。畜生。鳶に油揚げをさらわれた。自棄になったアンナはグローマンに砒素を盛った。
アンナは女中としての評判は良かったようだ。すぐさまゲブハルトという判事の家で働き始めた。ところが、出産したばかりの奥方が、
「アンナに毒を盛られた!」
と叫びながら死亡した。直ちに解雇されたアンナは自棄になり、台所の塩入れに砒素を混ぜ、生まれたばかりの赤ん坊の口に砒素入りビスケットを放り込むや逐電。赤ん坊は母親の後を追い、使用人たちも激しい嘔吐に襲われた。
やがて逃亡先で逮捕されたアンナは、どこで学んだのか、当時はまだ砒素が検出できないことを知っていた。だから、法廷では知らぬ存ぜぬで押し通したのだ。そこで検事は鎌をかけた。
「あなたはまだ砒素を検出できないとでも思っているんですか?」
顔面蒼白になったアンナは言葉を失い、その場に泣き崩れたという。かくしてすべてを自白した毒婦は斬首刑に処された。
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