1942年10月7日、ロンドン近郊のサレー州ハンクレー・コモンで、2人の海兵隊員が丘の上から突き出た人間の腕を発見。慌てて兵舎に戻って報告した。
若い女の遺体だった。衣服は身につけていたが、腐敗がひどい。検視官による所見は以下のようなものだった。
「犯人はまず先端が鉤状のナイフで被害者を切りつけた。彼女はこれを避けるために腕を負傷した。逃げる彼女はつまずいて倒れ、前歯を折る。そこに犯人がまたぐようにして立ちはだかり、頭部を鈍器で力いっぱい殴りつけた。即死だった」
被害者の身元は間もなく割れた。ジョアン・ウルフ。19歳の家出少女だ。兵舎付近の森の中で、あたかも北米先住民の「ウィグワム」のような小屋を作り、兵士を相手に売春することで生計を立てていた。
小屋を捜索した警察は、オーギュスト・サングレというカナダ軍兵士に宛てた未投函の手紙を発見した。それは自分が妊娠したことを愛しい人に伝える文面だった。
尋問されたサングレは彼女と親しかったことを認めた。「ウィグワム」を2人で作ったことも認めた。サングレは北米先住民とフランス人の混血だった。
「自分には北米先住民の血が流れているので、コモン(共有地)の真ん中に女が1人住んでいても、何も違和感を感じませんでした」
サングレは数週間前、上官から結婚申請書を受け取っている。ところが、それは「ウィグワム」の近くに捨てられていた。
「彼女とは結婚するつもりでした。でも、彼女はいつの間にかいなくなっていました。実家に帰ったのだろうか? 私はそれ以上、追求しませんでした」
しかし、次々と見つかる証拠はサングレの犯行を物語っていた。まず、洗いたての戦闘服には、まだはっきりと血痕が残っていた。そして、彼が「盗まれた」と云い張る折り畳みナイフは、兵舎の洗濯場の配水管に隠されていた。実はサングレが尋問に呼び出された時に、彼がいたのが洗濯場だったのだ。さらに、血糊と毛髪が付着した樫の棍棒も「ウィグワム」付近で発見された。これが致命傷を負わせた「鈍器」だった。
法廷に立ったサングレは罪を認めた。陪審は有罪を評決しつつも、情状酌量の余地ありとしたが、その旨は考慮されることなく1943年4月29日に絞首刑に処された。
ところで、サングレはどうしてわざわざ丘の上にジョアンの遺体を埋めたのだろうか? この点、北米先住民の血がそうさせたのだとする説がある。征服した敵の死体を丘の上に葬る風習があるというのだ。
本件は「ウィグワム・マーダー」の異名で知られているが、北米先住民の因縁を感じさせる事件である。
(2007年11月29日/岸田裁月)
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