ヴァイオレット・ノジェールは1915年1月11日、フランス中部の小さな町に、鉄道員の一人娘として生まれた。やがてパリに移ったが、その生活は貧しかった。
後に彼女自身が法廷で語ったところによれば、8歳の頃から父親に犯されていたという。しかし、陪審員は信じなかった。「あまりにもおぞましい云い逃れ」だと一蹴した。どうして信じなかったのか? それは彼女の素行が悪かったからだ。十代の前半から不良仲間に加わって、16歳で春を売り、そして梅毒を患った。そんなイカレポンチの云うことなど嘘八百のこんこんちきだというわけだ。
18歳の時にジャン・ダバンという法学部の学生と出会ったことで、彼女の人生は大きく変わる。良い方向にではない。最悪の方向にである。このハンサムな貧乏学生に彼女は貢いだ。自分はいいところのお嬢さまだと偽って。ところが、その金は売春で、時には親からくすねて得た金だった。
そんな毎日が数ヶ月も続いた頃、彼女は決心する。彼と一緒に暮らそう。しかし、親が許さないことは判っている。ならば家出すればいいわけだが、彼女はその道を選ばなかった。両親を殺し、そのささやかな貯金を奪う道を選んだのだ。
まず、処方箋を偽造したヴァイオレットはヴェロナールを手に入れた。芥川龍之介が自殺に用いたとされる睡眠薬である。それを両親に「はい、お薬」と手渡した。
「おい、いつものとは違うぞ」
それでも父親は疑うことなくすべてを飲み下して絶命。一方、疑り深い母親は半分しか飲まなかったために昏睡しただけだった。しかし、死んだと思ったヴァイオレットは、心中に見せかけるためにガス栓を開けて、消防署に通報した。
「大変よ!。パパとママが心中したの!」
駆けつけた救命士は夫人にまだ息があることに気づいた。
「これはガス中毒じゃないな」
かくしてヴァイオレットの芝居は露見し、1933年8月28日、エトワール広場で苺のアイスクリームを食べているところを逮捕された。
ヴァイオレットは死刑を宣告されたが、当時は女性をギロチンにかけないことが通例になっていた。そして、1946年にはド・ゴール大統領の恩赦により釈放された。しかし、世間の眼は厳しかった。事件当時のパリではこのような戯れ歌が流行ったという。
両親を毒殺した不良娘、ヴァイオレット・ノジェール
苦しみ悶える姿に動じもせずに、命を奪ったひどい娘
年老いた産みの親にこれほど惨い仕打ちはない
身の毛もよだつ恐怖の惨劇
下手人はあのあばずれ娘
(2007年10月18日/岸田裁月)
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