アレクサンダー・メイヤーは犯行時には20歳だったが、その幼児性を鑑みれば「子供」に分類してもよいだろう。
「女の子を轢き殺すためだけの目的でトラックを盗みました」
こんなトンデモないことをあっけらかんと云ってのけるこの金持ちのドラ息子は、とにかくただヤリたい一心で、少女を跳ね飛ばしたのだ。
それは1937年2月11日、ペンシルヴァニア州コーツヴィルでの出来事である。時刻は午後3時30分。ハイスクールの鐘がなり、生徒が帰宅し始めた。その光景を緑色のトラックの中で、まるで品定めでもするかのように眺めている男がいた。アレクサンダー・メイヤー。まだ幼い顔をした若者だった。
往来の少ない静かな通りだった。数人の女子生徒たちがトラックの横を通り過ぎた。
だめだ。人目が多過ぎる。
彼女たちが見えなくなると、1台の車が通り過ぎ、そこに1人の女子生徒が現れた。16歳のヘレン・モイヤーだった。
今だ!
メイヤーはエンジンをかけると、思いっきりアクセルを踏み、彼女に目掛けて突進した。
ドン!
宙を飛び、地面に叩きつけられた彼女は「死んだように見えた」(メイヤー談)。幼い顔の若者は彼女を荷台に放り込むと、そのまま近くの廃屋に運び込み、そして、彼女を強姦した。
路上にはヘレンの靴と教科書が残されていた。あたりにはヘッドライトの破片が散らばっている。彼女が車に轢かれて、連れ去られたことは間違いない。
彼女の失踪が報道されると、現場付近で働いていた作業員が名乗り出た。
「だいぶ離れてたんで断定は出来ませんが、女の子を撥ねた瞬間を見たと思います。あれは緑色のトラックでしたよ。電柱にぶつかると、それからバックして、しばらく間を置いてから、猛烈な勢いで走り去りました」
電柱を調べた警察は、証言通りに緑色の塗料片を発見した。しかし、この線からは犯人に辿り着けなかった。この緑色のトラック、フォード製の牛乳配達車は盗難されたものだったからだ。
むしろ、もう1人の通報者、ジーニー・ウォーターソンの証言が逮捕の決め手となった。彼女はヘレン・モイヤーの友達だった。
「ヘレンが失踪する6日前、緑色のトラックに乗った若い男に『乗らないか』と誘われました。童顔で、悪い人には見えなかったので、ついつい誘いに乗ってしまいました。やがて男は人通りのない道でトラックを停めると、私の服を脱がそうとしました。抵抗すると、バールで頭を殴られました。今思えば、殺されていたかも知れません。私は必死でトラックから降りて、走りながら助けを求めました。するとトラックは猛烈な勢いで走り去りました」
この証言で浮上したのが、アレクサンダー・メイヤーだった。3年前にフィラデルフィアで2人の少女に向けてライフルを発砲し、不定期刑を宣告されていた童顔の若者である。彼はヘレンが消えた場所からほど近い石炭仲買商のドラ息子だった。
やがてメイヤーは、性懲りもなく盗んだ緑色のトラックを運転しているところを逮捕された。
「ヘレンは何処にやったんだ?」
ぶうたれた彼は、例の廃屋脇にある井戸に案内した。
「ここに捨てた。証拠を残さないようにダイナマイトを放り込んだ」
えええええっ!
参考文献を読んでいた私は思わず声をあげた。このボンクラは、被害者を井戸に遺棄した上に、ダイナマイトで爆破したのだ。余りのことに言葉もなかった。「呆れてモノが云えない」とはこういうことを云うのだろう。
発掘されたヘレン・モイヤーは、爆破のために片足がもげていた。死因は溺死である。つまり、彼女は遺棄された時、まだ生きていたのだ。
ボンクラの馬鹿ったれ、アレクサンダー・メイヤーは1937年4月に電気椅子で処刑された。
こういう事件は本当に悲しい。性欲とはいったい何様なんだろうと考えさせられる事件である。イマジン、オール・ザ・ピープル、性欲のない世界。
私は禁欲に生きる。今、決めた。
(2007年10月30日/岸田裁月)
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