1958年3月、ジョージア州の小さな町コクランに住むバグレイ夫人は匿名の手紙を受け取った。文面は以下の通り。
「すぐに来て下さい。マルシアも飲まされています」
なんのこっちゃ。意味がさっぱり判らない。ただ、マルシアだけは誰だか判る。9歳になる彼女の姪だ。近くのメーコンで食堂を経営しているアンジェット・ライルズの上の娘である。
アンジェットがベン・ライルズと結婚したのは1947年のことである。マルシアとカーラの2人の娘に恵まれ、義母と共に開いた食堂も繁盛していた。
しかし、幸せな日々は長くは続かなかった。1951年1月、夫のベンが急な腹痛を訴えて入院し、まもなく帰らぬ人となったのだ。彼には1万2千ドルの生命保険が掛けられていた。アンジェットはこれを元手に自分だけの食堂を開く。その名も『陽気な未亡人』。悪い冗談だが、店は未亡人目当ての客で繁盛した。
1955年6月、アンジェットは常連客の一人、ジョセフ・ギャバートという10歳も年下のパイロットと再婚する。ところが、半年も経たぬうちにジョセフは腹痛を訴えて入院。病院では甲斐甲斐しく夫を看病する妻の姿がしばしば目撃されたが、あれよあれよという間に容態は悪化し、12月5日に苦しみ抜いて息を引き取る。アンジェットはこのたびは1万ドルの保険金を受け取っている。
1957年9月29日には義母のジュリア・ライルズが急逝する。症状はベンやジョセフと同じである。アンジェットは遺言状に基づいて義母の土地を相続したが、やがて病院内では良からぬ噂が立つ。曰く、
「ライルズ夫人の遺言状は死亡の1ケ月前に書かれたものだが、その時の彼女はペンなど握れる状態ではなかった。遺言状は嫁が偽造したものに違いない」
アンジェットの店の使用人たちも疑惑を抱いていた。
「ライルズ夫人の具合が悪くなったのは、うちで食事をした直後だった。うちのオーナーが毒を盛ったのではなかろうか?」
疑惑が確信に変わったのは1958年3月、娘のマルシアが病院に運び込まれた時である。冒頭の手紙を出したのは看護婦の1人だった。しかし、手紙が保安官の手に渡った時には、マルシアは既にこの世のものではなかった。4月5日、哀れな娘は苦しみ抜いて死亡した。
遺体からは砒素が検出された。毒殺の線が濃厚である。ただちにアンジェットの家を捜索した保安官は、その奥に奇妙な小部屋を発見した。香が焚かれ、不気味な置き物や飾りで彩られたその部屋は、彼女が「魔女の隠れ処」と呼んでいる場所だった。つまり、アンジェット・ライルズは自称「魔女」だったのである。
「こんなのが嫁じゃ敵わんなあ」
呆れ果てた保安官は、様々な「媚薬」と共に並ぶ殺鼠剤の瓶を発見した。その数6本。彼女はまだまだ殺る気まんまんだったのだ。
4件の殺人で有罪となり、死刑を宣告されたアンジェットだったが、後に精神異常と診断されて癲狂院送りとなった。そして、1977年12月4日に院内で死亡した。
ところで、彼女はどうして愛娘のマルシアまで殺さなければならなかったのか? 一説によれば、マルシアの顔が父親に似ていたからだというのだが、そうだとしたらいやはやなんとも、言葉がない。
(2008年8月29日/岸田裁月)
|