トーマス・インス
オネイダ号上でインスを迎えるマリオン |
1920年代のアメリカでは、禁酒法下での密造酒事業で暗黒街が大いに潤い、警察や官吏、政治家が不正に買収される事態が横行した。そんな中で「人を殺しても揉み消せるのではないか?」という疑念を市民は抱いた。事実、揉み消しはあったと云われている。そして、このトーマス・インスの死の真相も揉み消されたと見る向きが多い。インスは自然死だったのか? それとも、誰かに殺されたのだろうか?
1924年11月15日、新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストが所有する豪華客船オネイダ号にて、「西部劇の父」と謳われた映画監督トーマス・インスの42回目の誕生日を祝う宴が催された。出席者はホストのハーストはもちろん、その愛人にして女優のマリオン・デイヴィス、喜劇王チャールズ・チャップリン、芸能コラムニストのルエラ・パーソンズ。この他にも数多くのハリウッド・スターたちが招待されていた。
ところが、宴の途中でインスが体調を崩す。その原因は情報によってまちまちだ。消化不良とも心臓発作とも云われている。いずれにしても、直ちに列車に乗せられてロサンゼルスの自宅に運ばれた。そして、11月19日に死亡。遺体は火葬に付された。
インスの葬儀に前後して、こんな噂が流れ始めた。
「彼はマリオンにちょっかいを出して、激怒したハーストに撃たれたらしい」
この噂は地方検事の耳にも入ったが、事情聴取することなく「噂には根拠なし」と断定した。このことがかえって火に油をそそいだ。
「ハーストが揉み消したんだ。あいつならやりかねない」
やがて噂はこのように変わっていった。ケネス・アンガー著『ハリウッド・バビロン』によれば、
「夜も更けて、船上でのパーティもたけなわとなった頃、チャーリーとマリオンが甲板の暗がりに抜け出した。これを目撃したハーストはリボルバーを持ち出すと、殺すの殺さないの大騒ぎを起こした。そして銃弾は発射され、これが止めに入ったインスのこめかみにめり込んだ」
つまり、インスはチャップリンの身代わりとなって死んだというのだ。
ハーストの横暴さとチャップリンの女好きを考慮すればありえない話ではないが、憶測の域を出ていない。十中八九、ガセネタなのだと思う。
(2007年11月5日/岸田裁月)
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