マーティン・ファイドー著『世界犯罪クロニクル』における本件の見出しに曰く、
「ジキルの側面がない貪欲なハイド博士」
まさにハイド氏に全身を乗っ取られてしまったジキル博士のような人物である。
ベネット・ハイド博士の義理の叔父さん、トーマス・スウォープはカンザスシティの大金持ちだった。子供に恵まれなかった叔父さんは、その財産管理を親友のジェイムズ・ハントンに委ねた。万一の時には揉め事がないように、甥と姪に遺産を平等に分け与えるよう指示したのだが、これがハイド博士には面白くなかった。その役目は自分がやりたかったからだ。
1909年9月、「万一の時」は叔父さんにではなくハントン氏に訪れる。或る日突然、ばったりと倒れて、ハイド博士の治療の甲斐なく息を引き取ったのだ。死因は「脳溢血」ということだが、今日ではこれも博士の仕業だと見られている。
親友を失った叔父さんは、失意のあまりに寝込んでしまう。ハイド博士はハントン氏の後釜を狙うも、信用されていないのか、叔父さんに申し出を突っぱねられてしまう。叔父さんが息を引き取ったのはその直後である。後日に掘り起こされた遺体からはストリニキーネと青酸カリが検出された。ハイド博士は毒物を併用することで症状を複雑にして誤魔化そうとしたらしい。
叔父さんの遺産は6等分されて、甥と姪たちに平等に分配された。それでも1人25万ドルの大儲けである。しかし、ハイド博士はその全てが欲しかったようだ。残りの5人の相続人はたちまち具合が悪くなった。腸チフスである。やがてクリスチャン・スウォープが息を引き取る。不審に思った女中の1人が博士の嫁のフランシスに御進言。
「こんな短期間に3人も死ぬのはおかしいです。私はハイド博士が怪しいと思います」
ところが、フランシスは話を聞くどころか激怒して、女中を解雇したばかりか、お抱え弁護士を呼びつけてギャーギャーギャーとがなり立てた。
女中と同様に疑惑を抱いていた弁護士は、残りの4人の相続人をハイド博士から隔離して別の医者に預けた。すると、たちどころに回復したのだから疑惑は増すばかりだ。叔父さんの遺体も掘り起こされて、遂にハイド博士はお縄となった。1910年2月のことである。
一審では有罪になった博士であったが、二審では途中で陪審員の1人が病気で倒れて審理が流れ、仕切り直した3度目の裁判も陪審員の評決が一致を見ずに流れてしまう。陪審員の買収が噂された。そして、同じ罪で4度も裁くのは如何なものかとの弁護士団のクレームが通って、ハイド博士はまさかの無罪放免となった。司法関係者に賄賂が渡ったものと思われる。
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