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アンリ・ジラール
Henri Girard (フランス)



アンリ・ジラール

 ルイ・パスツールは細菌の研究により医学に貢献したが、同じフランス生まれのアンル・ジラールは殺人に悪用した。細菌兵器の祖とでもいうべき人物である。

 若い頃から詐欺師稼業に手を染め、愛人を3人も囲って贅沢三昧のジラールは、もっと効率的に稼ごうと保険金殺人を思い立つ。問題は被保険者の殺害方法だ。ヘタに毒を盛れば露見する。そこで狡猾な彼が眼をつけたのは、近年急速な発展を遂げた細菌学である。病気で死ねば疑われるリスクは少ない。昼間は保険の外交員として働く傍らで、ビーカーやら試験管やらを買い込むと秘かに研究を始めた。

 1910年、パリの資産家たるルイ・ペルノットの財産管理を委ねられたジラールは、機は熟したとばかりにベルノットに30万フランの生命保険をかけると、チフス菌の培養に取り掛かった。
 1912年8月、保養先でペルノット一家4人が腸チフスで倒れた。ジラールは特効薬だと称する液体をペルノットに注射した。これがいったい何だったのかは定かではないが、とにかく症状は悪化の一途を辿り、12月1日に死亡した。まんまと保険金を手に入れたジラールは、そのことを知らない奥方に冷酷にもこのように云い放ったという。
「奥さん、ご主人は私に20万フランもの借りがあるんですよ! どうしてくるれるんですか!?」

 最後の犠牲者は、戦争未亡人のモナン夫人だった。彼女に生命保険をかけた後、自宅に食事に招いた。その帰宅途中に地下鉄のホームで倒れ、そのまま二度と起き上がらなかった。今回はその死があまりにも唐突だったために保険会社に怪しまれてジラールはお縄になったわけだが、彼がいったいどれだけの人を毒牙にかけたのは判っていない。公判前の1921年5月、ジラールが獄中で自殺したからだ。何者かが差し入れた細菌を自ら口にしたのだ。細菌兵器の祖にふさわしい死にざまである。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
週刊マーダー・ケースブック57『愛欲まみれの毒殺者たち』(ディアゴスティーニ)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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