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イヴ・エヴヌー
シモーヌ・デシャン

Yves Evenou & Simone Deschamps (フランス)



シモーヌ・デシャン

 ただでさえ訳が判らぬ事件なのに、裁判前に共犯者が死んでしまったために余計に判らぬ事件となった。取り残された相棒は、左写真のように、ただただ泣きじゃくるばかりである。

 パリ郊外のショワジー・ル・ロウに瀟洒な屋敷を構えるイヴ・エヴヌーは、地元では知らぬ者がいないほど高名な産科医だった。かつては町長も兼ねていたことがある。そんな彼にも秘められたもう一つの顔があった。それは「女を服従させたい」「虐げたい」というサディストとしての顔であった。
 しかし、3人目の妻マリ・クレールはお嬢様育ちで、彼の歪んだ欲望を充たしてはくれまい。彼女とは財産目的で結婚したようなものだった。そこで彼は患者の中からパートナーを選び出した。シモーヌ・デシャン。もう40代のおばはんだが、エヴヌー医師の要望に合致した真性のマゾヒストだった。

 2人のプレイは、当初は大衆の面前で侮辱したり、当惑するウェイトレスの前で卑猥な言葉を口にさせたり、丈の短いスカートを履かせて町中を歩かせたり、おしっこを我慢させたりするような他愛ないものだったが、次第に鞭打ちや三角木馬、町で拾った男を交えての3Pとエスカレートしていった。そして遂にはあの一言に辿り着く。
「私の妻を殺せ」
 はい、御主人さまと、彼女は折り畳みナイフを買って来る。調教バッチリである。

 なお、この頃のシモーヌはエヴヌー宅に住んでいた。3階にはエヴヌーの母親が、2階には妻と娘のフランソワーズが、そして1階にはシモーヌが住み、一家のために料理を作ったり、娘のためにドレスを縫ったり、高齢の母親のケアをしたりしていたという。住み込みのメイドのようでもあり、家族公認の愛人のようでもある。実際はどういう関係だったのだろうか? 夫婦が共に死んでしまっている以上、永遠の謎である。

 それは1957年5月31日のことだった。1階ではシモーヌが御主人様からの電話を待っていた。身につけていたのは赤いハイヒールと革の手袋、そして毛皮のコートだけである。その下はすっぽんぽん。このことからも妻殺しがプレイの一環だったことが窺える。
 やがて御主人様からの電話が入る。
「睡眠薬が効いた。妻は眠っている」
 シモーヌは2階に上がると、ポケットからナイフを取り出し、毛皮のコートを脱ぎ捨てる。すると御主人様は妻の心臓を指差して、
「刺せ! 刺すんだ!」
 ナイフは11回に渡って振り下ろされた。あたりは血の海。即死であったことは云うまでもない。

 さて、この後の御主人様の行動が奇妙なのである。死体を放置したまま警察署に出向くと「妻が愛人に殺された」と申し立てたのだ。いったいどういうつもりだったのだろうか? 彼女を告発することまで含めてプレイの一環だったのだろうか?
 数ヶ月後、エヴヌー医師は拘置所内で死亡。長年に渡る深酒が原因だった。故にその真意は判らぬままに今日に至る。

 翌1958年10月13日から執り行われた裁判において、シモーヌは「事件当時は完全にエヴヌー医師の支配下にあり、責任無能力状態にあった」と主張した。しかし、犯行後にナイフと革手袋の血を自ら洗い流していること、ナイフをマットレスに自ら縫い込んで隠していること等から、まったくの心神喪失とは認められない。有罪判決が下されたが、情状酌量の余地があるとして、ギロチンだけは免れた。
 極めて特異な事件である。この事件が世間で余り知られていないのが不思議でならない。

(2008年8月26日/岸田裁月) 


参考文献

『LADY KILLERS』JOYCE ROBINS(CHANCELLOR PRESS)


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