このフレデリック・ディーミングもまた、ドクター・クリームやジョージ・チャップマンと並ぶ「切り裂きジャックの容疑者」の一人である。その犯行は支離滅裂で行き当たりばったり。破滅型のペテン師という感じだ。
1854年に生まれたディーミングは、14歳で船乗りとなり、世界中を旅して回った。「行ったことのない国はニュージーランドとロシアだけ」とは本人の弁。各地で不必要に騒動を起こす問題児だった。いわばトリックスターである。
1891年7月、ディーミングは「アルバート・O・ウィリアムズ」と名乗り、リヴァプールの東レインヒルで「ブルックス大佐の住まいを探している」と法螺を吹き、大佐が入居するまでの間、借家にロハで住むことに成功した。当時の妻マリーと4人の子供が同居していたが、対外的にはマリーは「妹」と偽り、ご近所の別嬪さん、エミリー・メイザーに求婚したというからトンデモはっぷん。いつの間にか「妹」と4人の子供の姿が見えなくなると、ディーミングは「大佐は凸凹の床は嫌いだから」と大家に頼んで石床をセメントで舗装させた。
何故に舗装させたのかは、当館御常連ならば御案内だろう。
やがてエミリーと結婚したディーミングは「ブルックス大佐の住まい」からプイといなくなってしまう。オーストラリアに渡ったのだ。そして、メルボルンのアンドリュー通り57番地に家を借りて新婚生活を始めた。ところが、しばらくするとまたしてもプイといなくなってしまう。本当に行き当たりばったりの人生である。
家賃が支払われないので、大家は件の家を女性に貸した。当の女性曰く、なんか臭いわよ、この家。くんくん。あら、この暖炉から臭うわ。まあ、何かしら? 何かが塗り込められてるわ。人手を借りて掘り起こしてみるとデデーン(効果音)。二つ折りになった女性の遺体が現れた。頭蓋骨が叩き割られた上に、喉を掻き切られている。酷い有り様だった。
もちろん遺体は「ウィリアム夫人」ことエミリー・メイザーである。早速、自称「アルバート・O・ウィリアムズ」は全国に指名手配された。新聞報道は過熱し、
「お宅の暖炉にも死体があるかもよ?」
などとお調子者がチョロっと書いたものだから、メルボルンのあちこちで暖炉が掘り起こされたという。マスコミの影響は恐ろしい。
このニュースは英国でも大々的に報じられた。誰もが「ウィリアムズの妹」と4人の子供の安否を案じた。気になるのはセメントで舗装された床だ。恐る恐る掘り起こしてみるとデデーン(効果音)。案の定、5人の遺体が埋まっていた。「妹」は喉を掻き切られ、子供たちも首を絞められるか掻き切られるかしていた。
1892年3月11日にサザンクロスで身柄を確保されたディーミングは、そのまま処刑されたので、英国での犯行の詳細は不明のままである。故に彼が「切り裂きジャック」だったのではないかとの憶測が飛んだ。しかし、その証拠は一つもない。
ちなみに、ディーミングの頭蓋骨は解剖学者の手に渡り、処刑された多くの囚人の遺品と共に展示された。類人猿に似ているとかで、ロンブローゾが唱える生来的犯罪者説の根拠として重宝されたそうだ。
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