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ヤコブス・コーツェ
Jacobus H. Coetzee (南アフリカ)


 

 捜査を担当した刑事が犯人だったという、まるで小説のような事件である。

 1935年2月初め、南アフリカの首都プレトリアから200kmほど離れた郊外の線路脇で、若い女性の遺体が発見された。強姦された形跡はないが、体中に打撲傷があり、頭部を32口径の銃で撃たれている。
 現場に派遣された2人の刑事のうちの1人がヤコブス・コーツェだった。まだ若いが、将来を期待される新人だ。

 なお、これは後に判ったことだが、彼女が殺されたのは出産直後のことだった。その下宿からは衰弱した赤子が保護されたが、間もなく死亡している。

 或る農場主からの届け出で、被害者はこの農場の通いの女中、ゲルトリナ・オッペルマンであることが判明した。農場主は彼女から1通の手紙を預かっていた。1月29日付のその手紙には、このように書かれていた。

「万事、準備を進めている。木曜日に話し合おう。J・
H・コーツェ」

 J・H・コーツェ? あいつのことじゃないか?
 農場主にコーツェの写真を見せて確認すると、

「ああ、こいつですよ、うちの女中にちょっかいを出してたのは。母屋の裏でちちくりあってるところを目撃しましてね、こらあっと叱りつけたこともありました」

 かくして遺体発見の2日後にコーツェはあっさりと逮捕された。
 あくまでシラを切り通したコーツェだったが、証拠は彼に不利なものばかりだ。例えば、彼女の頭に撃ち込まれた32口径と同じ銃弾を所持していたし、ズボンには血が付着していた。

 コーツェが最後までこだわったのは「子供はオレの子じゃない」ということだった。どうやら、そのことで彼女に脅迫され、結婚を迫られていたらしい。情状酌量の余地ありと判断した陪審は、有罪は下したものの、刑は終身刑に留めた。

(2007年10月22日/岸田裁月) 


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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