アル・カポネ |
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「暗黒街の顔役」ことアル・カポネは1899年1月17日、ナポリからの移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれた。当初は素直な子供だったようだが、十代前半からグレ始め、15歳の頃にはジョニー・トーリオ親分の使いっ走りをしていたというから恐れ入る。 |
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トーリオとカポネの思惑通り、密造酒の販売は組織に莫大な利益を齎した。穏健なトーリオは他の親分たちと協議して、それぞれの縄張りを取り決めていたが、これだけ儲かると判れば独占したいと思う輩も現れる。それがアイルランド系ヤクザのダイオン・オバニオンだった。 |
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オバニオンの死後も「ビール戦争」と呼ばれる一連の抗争は続いた。 |
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その後も続いた抗争にようやく終止符が打たれたのは1929年2月14日のことである。カポネが放った5人の刺客が警察官に扮装し、ジョージ・モランのアジトがある自動車修理工場を襲ったのだ。肝心のモランは遅れたためにいなかったが、5人の幹部と修理工、そして、たまたまそこに居合わせた運の悪い視力矯正士の7人が壁に向かって並ばされ、背後から機関銃の雨を浴びたのだった。これぞ悪名高き「聖ヴァレンタイン・デーの虐殺」である。 (2007年10月11日/岸田裁月) |
参考文献 |
『マフィアの興亡』タイムライフ編(同朋舎出版) |