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ジェイク・バード
Jake Bird (アメリカ)



ジェイク・バード


タコマの事件を報じる新聞

 1901年12月14日にルイジアナで生まれたジェイク・バードは気ままな風来坊だった。ふ〜らりふらふら風来坊、土方仕事を求めて全国各地を渡り歩いた。故に彼の犯行は長きに渡り発覚することはなかった。広域型連続殺人犯のモデルケースと云えよう。

 1947年10月30日、ワシントン州タコマに辿り着いたバードは、未亡人のバーサ・クラッド宅に押し入ると、彼女と娘のビヴァリーに斧を振り下ろした。悲鳴を聞きつけた隣人の通報を受けて警察が急行した時には、バードは裏庭からまさに逃げ出すところだった。ナイフで抵抗したために2人の巡査にボコボコにされて、顔中血みどろの風来坊は遂にお縄となった次第である。

 死刑が云い渡されたにも拘らず2年も執行されなかったのは、彼が余罪を告白したからである。「1年ごとに少なくとも1人は殺していた」と嘯くこの男は、イリノイ州エヴァンストン、ケンタッキー州ルイスヴィル、カンザス州カンザスシティ、ネブラカ州オマハ、サウスダコタ州スーフォールズ、オハイオ州クリーヴランド、フロリダ州オーランド、ウィスコンシン州ポーテージ等、次から次へと犯行を自供したのだからびっくりだ。その数は最終的に44人にも及んだ。黒人連続殺人犯の最多記録である。

 犯行を次々に自供することで死刑から逃れていたという意味で、バードはヘンリー・ルーカスの先駆と云えよう。但し、嘘八百を並べていたルーカスとは異なり、バードは実際に殺していた。凶器は常に斧で、被害者はいずれも白人女性だった。白人女性を斧で叩き殺すことを何よりも好むサディストだったのである。

 結局、自供するネタが尽きたために1949年7月15日に縛り首となったジェイク・バードは、「呪い」の持ち主であったことでも知られている。彼が刑務所に収容されている間、関係者が次々と死亡したのだ。その名前を列挙することで、この項を終えることにしよう。

 エドワード・ホッジ(裁判官・48年1月1日死亡・69歳)
 ジョセフ・カーパッチ(保安官・48年4月5日死亡・46歳)
 ジョージ・ハリガン(書記官・48年6月11日死亡・69歳)
 シャーマン・ライオンズ(警部補・48年10月28日死亡・46歳)
 ジェイムス・シェルデン(弁護人・48年11月26日死亡・76歳)

(2009年1月28日/岸田裁月) 


参考文献

『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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