ベルギー東部の都市リエージュに生まれ育ったマリー・ベッカーは、少なくとも53歳まではごく平凡な家庭の主婦だった。ところが、ランベルト・バイエルと出会ったことで箍が外れた。情熱的な情事を通じて、禁断の世界を知ってしまったのである。ああ、これまでの私はなんて退屈な女だったのだろう。私はこんなところにいてはいけない。もっと自由に生きるのだ。だって人生はたった一度きりなんだもの。
足かせだった夫のシャルル・ベッカーにジギタリスを盛ったのは1932年秋のこと。未亡人となったマリーは愛しのランベルトのもとへと走るが、夫を殺したことで、もう一つ上の禁断の世界を知ってしまったマリーには、ランベルトは物足りなくなっていた。彼もまた、今となっては足かせに過ぎない。躊躇することなくジギタリスを盛った。1934年11月のことである。
2人分の遺産を相続したマリーは結構な金持ちになっていた。
「さあ、これからは失った青春を取り戻すのよ!」
彼女は連日のように若いツバメとチャラチャラチャラチャラ遊び歩いた。もちろん、ツバメたちの御奉仕はロハではない。有料である。そのために彼女の資産は瞬くうちに底をつく。しかし、もう後には戻れない、戻りたくない、退屈だったあの頃には。そんな彼女が選んだ道は、友人知人隣人を片っ端から殺害し、その財産をちょろまかすことだった。
1935年 3月 ジュリア・ボッシー
1935年 5月 ジャンヌ・ペロー
1935年 5月 アリーヌ=ルイーズ・ダモレット
1935年 7月 マリー・カスタド
1935年 9月 ランバート夫人
1935年11月 クルール夫人
1936年 5月 アンヌ・ステヴァール
1936年 9月 マティルド・ブルト
1936年 9月 ランジュ夫人
1936年 9月 ワイス夫人
凄まじい頻度である。わずか1年半の間に10人も手にかけている。
殺人行脚がようやく終わりを迎えたのは翌10月のこと。彼女を告発する匿名の手紙が警察に舞い込み、色ボケばばあは遂にお縄と相成る。ハンドバッグの中からはジギタリスが、彼女の部屋からは山ほどの宝石類が押収されて、有罪となったマリーは、しかし、死刑にはならなかった。ベルギーでは慣例上、死刑が凍結されていたからだ。終身刑に減刑されて、数年後に獄中で死亡。人生の最後に盛大に燃え盛り、周りの者を12人も巻き添えにした、まことに迷惑なおばはんである。
(2007年10月24日/岸田裁月)
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