1953年4月12日、南オーストラリア州アデレードでの出来事である。まだ夜が明けやらぬ早朝のこと、女の金切り声が響き渡ったかと思うと、妙齢の女性が「サンシャイン・カフェ」の2階の窓から飛び降りて路面に叩きつけられた。彼女はそのカフェのウェイトレスだった。直ちに病院に運ばれて、一命だけは取り留めた。
しかし、深刻なのはむしろ店内の方だった。店主のセルマ・バラバンは既に事切れ、彼女の母親スーザン・アックランドと、連れ子で6歳のフィリップ・キャドは虫の息。間もなく病院で死亡した。いずれも頭部を鈍器でしこたま殴られている。現場に急行した警察は、店の外で不審な男を逮捕した。ジョン・バラマン。別居中のセルマの夫だった。
バラバンは素直に犯行を認めた。フィリップまで殺すつもりはなかったが、起きてしまったので已むなく殴りつけたという。その後にウェイトレスの寝室に向かった。
「あのアマが邪魔立てしたんだ。女房に味方しやがったんだよ」
彼女を打ち据えて強姦した後、バラバンは妻のもとに戻り、改めて殴りつけたというから狂気の沙汰だ。怒りのほどが窺える。
「奴らは生きるに値しない。殺されるべきだったんだ」
バラバンはまた、昨年にゾラ・カジックという売春婦の喉を掻き切って殺害したこと、パリにいた頃にもう1人の女を殺していることも併せて自白した。しかし、パリのケースは既に時効が過ぎている。故に売春婦を含む4件の殺人でのみ裁かれることとなった。
弁護人は当然ながら精神異常を理由に無罪を申し立てた。たしかに、その犯行は常軌を逸している。しかし、その主張は認められずに有罪となり、1953年8月26日に絞首刑に処された。
(2009年1月21日/岸田裁月)
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