19世紀初頭の不可解な事件。いわゆる「安楽椅子探偵」に多くの謎を提供したばかりか、最後に劇的な展開を見せた。しかし、未解決のままである。
1817年5月27日午前6時30分、バーミンガム郊外アーディントンの池で、村の評判娘、メアリー・アシュフォード(20)の遺体が発見された。そばには彼女の帽子と靴、畳んだドレスが置かれ、人が横たわったような形跡がある。死因は溺死で、死の直前に処女を失っていた。
昨夜は村祭りだった。メアリーは親友のハンナ・コックスの家で綺麗に着飾り、共に会場へと向うと深夜まで踊りに興じた。そして、頃合いを見計らって一人の男と闇に消えた。
ここでメアリーの足取りが途絶えたのならば、その男の犯行である可能性が高い。ところが、彼女は午前4時にハンナの家に戻り、衣服を着替えているのだ。そして30分後に出て行った。その2時間後に遺体となって発見されたのである。
やがて容疑者としてエイブラハム・ソーントンが逮捕された。現場に残されていた足跡が彼の靴底と一致したのだ。また、メアリーと連れ立って闇へと消えた男が彼であることも確認されている。
メアリーのドレスにはかなりの血が付着していたことから、検察はソーントンが激しく強姦した後、気絶した彼女を池に放り込んだのだと主張した。これに対してソーントンは性交渉があったことは認めたが、それはあくまで合意の上で、大量に出血したのは彼女が月経だったからだと反論した。
結局、ソーントンを有罪にするだけの決定的な証拠は提出されなかった。陪審員が無罪を評決すると、メアリーの兄ウィリアム・アシュフォードが法定相続人の資格に基づき再審を請求した。 これはヘンリー7世時代の古い法律に基づく権利で、当時では殆ど行使されることはなかった。これに対してソーントンはウィリアムに手袋を投げつけた。
「私は無実です。そのことを身をもって証明します」
なんと、更に古い法律に従って決闘を申し出たのである。これにはウィリアムは白旗を上げた。かくしてソーントンは無罪放免となった。
さて、実際のところはいったい何があったのだろうか?
ソーントンが犯人である可能性は低い。彼は午前4時30分頃、帰宅する途中に3人の男と挨拶を交わしている。現場からは数マイルも離れた場所だ。この証言ゆえに陪審員はわずか6分の協議で無罪を評決したのである。
では、誰か別の男に強姦されたのか?
それとも、ソーントンに強姦されたことを苦にした自殺だったのか?
自殺の可能性は低いだろう。ハンナの家に戻ったメアリーは「嬉しそうだった」とのハンナの証言がある。つまり、ソーントンと結ばれたことが嬉しかったのだ。
そこで浮上するのが事故説である。当時、月経だったメアリーは帰路に大量に出血した。それを洗い流すために池に行き、斜面で足を滑らせて、そのまま池に転落した…。
う〜ん。現場を見ていないから何とも云えないなあ。ここら辺が安楽椅子探偵の限界である。
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