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ジョン・ストラッフェン
John Straffen (イギリス)



護送中のジョン・ストラッフェン

 ブロードムアといえばグレアム・ヤングの件で大失態をやらかした刑事犯専門の精神病院だが、実はそれ以前にもより重大な失態をやらかしている。ジョン・ストラッフェンの件がそれだ。

 ストラッフェンは知的障害者だった。1947年、17歳の時に少女を淫行したかどで精神医療施設に入れられた。知能程度は8〜9歳。まんざら善悪が判らない年齢でもないが、欲望を理性で封じ込めるだけの能力が備わっていない微妙なお年頃だ。

 4年後の1951年7月、出所するや否やサマーセットでブレンダ・ゴダード(6)とシセリー・バットストーン(9)を絞殺した。動機については、
「だいきらいなおまわりさんをこまらせたかったからさ」
 などと嘯いたが、真の動機は性衝動であることは明白だ。しかし、心神耗弱であることが認められてブロードムア送りとなった。

 グレアム・ヤングの項でも述べたが、ブロードムアというところは随分とずぼらな施設である。慢性の人手不足が原因の一つらしい。看守たちが囚人たちの運動に立ち会っている際、ストラッフェンは見張りなしで庭の掃除をやらされていた。しかも、そばの裏門には鍵がかかっていなかった。これでは逃げてくれと云わんばかりだ。そして、逃げ出してから僅か3時間後にリンダ・ボウヤー(5)を絞殺した。1952年4月29日のことである。じきに逮捕されたストラッフェンは、迂闊にも口を滑らせた。

「じてんしゃにのったおんなのこをころしてなんかいないよ」

 法廷は死刑を宣告したが、心神耗弱者を絞首台に送ることは道義的に問題がある。内務省は刑の執行を猶予し、死ぬまで釈放しないこととした。已むを得ない結論である。

註:ストラッフェンは2007年11月19日、獄中で死亡した。77歳だった。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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