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ルイス・ストーントン
Lewis Staunton (イギリス)



ルイス・ストーントンとアリス・ローデス

 1877年4月、ハリエット・ストーントン(36)がロンドン病院に運ばれる途中で死亡した。診察した医師は仰天した。体重はわずか33kg。脂肪がまるでないばかりか、極めて不潔な状態でロンドン南東ペンジの下宿に放置されていたのだ。保護責任者である夫のルイス・ストーントン(24)は彼女を放置したままで別の女と暮らしていた。ハリエットの母親が警察に捜査を依頼したのは云うまでもない。

 遡ること2年、競馬場の事務員だったストーントンが12歳も年上の、やや血の巡りの悪いハリエット・バターフィールドと結婚したのは、彼女に3000ポンドの財産があったからだ。やがてハリエットが妊娠すると、2人は別居した。ハリエットをケントに住む弟のパトリックエリザベスの夫婦に週給1ポンド10シリングで預け、己れはエリザベスの妹アリス・ローデスと暮らし始めたのだ。
 1876年10月、ハリエットは夫と共にロンドンに現れ、何やら法的な書類に署名した。それ以来、死ぬまで彼女を見た者はいない。そして翌4月の初めに生まれたばかりの赤ん坊が衰弱死し、その1週間後にハリエットが死亡したのである。保護責任者遺棄致死どころか計画的な殺人だったと誰もが思う。

 妻と我が子を故意に餓死させたとの有罪判決は万民から支持された。ところが、これに医学専門誌『ランセット』が噛みついた。ハリエットは髄膜炎による自然死であった可能性があるというのだ。700名ほどの医師がこれに賛同し、連署した請願書が内務省に提出された。これを無視することは出来ない。結局、ストーントンとパトリックは死刑を免れて終身刑に留まり、エリザベスは短期刑、アリスは妊娠していたために釈放された。


参考文献

『殺人紳士録』J・H・H・ゴート&ロビン・オーデル著(中央アート出版社)
『世界犯罪クロニクル』マーティン・ファイドー著(ワールドフォトプレス)


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