最も有名な冤罪事件である。『死刑台のメロディ』をはじめとして数多くの創作の題材になっているので御存知の方も多かろう。たしかに、2人が疑わしいことは否定できない。しかし、裁判自体は明らかに不当なものだった。検事や判事の態度は偏見に充ちてた。
1920年4月15日、マサチューセッツ州サウス・ブレイントリーの製靴工場が2人の暴漢に襲われて、給料1万6千ドルが奪われた。その際に会計主任のフレデリック・バーメンターと警備員アレッサンドロ・ベラルデッリが射殺されたのだが、その手口が極めて残虐だ。初めに撃たれたベラルデッリは、犯人たちが立ち去る際に至近距離から再び撃たれてとどめを刺されている。また、バーメンターは既に金庫を手放して逃げているのに後ろから撃たれた。まるでプロの殺し屋のような冷酷さだった。
この事件の4ケ月前、1919年12月24日に近くのブリッジウォーターでやはり製靴工場を標的にした未遂事件があった。黒いワゴン車に乗った4人組に銃撃されたのだ。今回も2人の暴漢は別の男が運転する黒いワゴンで走り去った。同一犯である可能性が高い。
目撃者は50人以上いたが、その証言はまちまちで「イタリア人」ということ以外に共通点は見られなかった。とりあえずその線で捜査は進められ、フェルーチオ・コアッチとマイク・ボダの名が浮上した。共にアナーキストの活動家で、国外追放処分の決定を下された人物だった。
4月17日、犯人が逃走に使ったと思われるビュイックの黒いワゴンが、現場から25kmの林の中で見つかった。そのワゴン車はブリッジウォーターの事件の直前に盗まれたものだったことから、2件が同一犯である可能性が濃厚になった。また、乗り捨てられていたのはコアッチの家から3kmの場所だった。彼の容疑もまた濃厚になった。
更に、同じ日にボダが所有する車が修理に出されていることが判明した。警察は誰かが引き取りに来た時は必ず通報するようにと修理工場の主人に云い渡した。
5月5日、4人の男が車を引き取りにやって来た。ボダとその連れはオートバイで、残りの2人は徒歩だった。1人はダービーハットを被り、もう1人は長い口髭を生やしている。この2人がニコラ・サッコとバルトロメオ・ヴァンゼッティだった。
車は修理は終わっていたが、ライセンス・プレートがまだだったために4人はそのまま帰って行った。そして、電話で連絡を受けた警察が徒歩の2人組を追跡し、市電に乗り込んだところで身柄を押さえた。サッコは32口径のコルト・オートマティックと実弾23発、ヴァンゼッティは38口径のリボルバーを所持していた。共にアナーキストの活動家だった。
2人は己れの素性やその日の行動を偽ったため、疑惑の眼を向けられた。一方、ボダはイタリアに逃亡し、コアッチは逮捕されたが、怪しい物を何も所持していなかったために国外追放となった。かくして、当初の容疑者は退場し、おまけで登場したサッコとヴァンゼッティが容疑者として浮上した。奇妙なはなしだが、それもこれも2人が銃を不法所持していたのがまずかったのだ。銃を持っていなければ、2人が起訴されることはなかっただろう。
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