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ジル・ド・レ
Gilles de Rais (フランス)



ジル・ド・レ

 マルキ・ド・サドが敬愛した男、ジル・ド・レ。『青髭』のモデルになったことでも知られる彼は、少年たちを残虐に殺害した。犠牲者の数とその所業は多分に誇張されているとの批判もあるが、その伝説は永遠に語り継がれて行くことだろう。

 1404年、ナント近郊のシャントセ城で生まれたジル・ド・レは、たった一人の世継ぎであり、従って輝かしい将来を約束されていた。父ギイ・ド・ラヴァルは名門ラヴァル家の家長であり、母マリー・ド・クラオンもフランス王国屈指の貴族だった。両親はそれぞれブルターニュからポワトー、更にはメーヌからアンジューへと至るフランス西部一帯にまたがる広大な領地を所有していた。その世継ぎであるジルは、フランス王国で最大の勢力を誇る領主となる筈だった。
 1415年、父ギイが死亡し、これを追うように母マリーも亡くなると、途方もない財産を相続した幼い世継ぎは、母方の祖父ジャン・ド・クラオンに引き取られた。この祖父は、悪い人ではなかったが、小児性愛の気があった。ジルが男色に目覚めたのはこの祖父のおかげである。
 やがて、自らの意思とは関係なく従姉妹のカトリーヌ・ド・トゥワールと結婚させられたジルは、ティフォージュの城に居を構えた。しかし、幼な妻には眼もくれず、側近の少年たちと放蕩三昧の日々を送るのであった。

 そんな自堕落なジルであったが、やがて転機が訪れる。聖少女ジャンヌ・ダルクと出会うのである。
 1429年、シャルル7世に呼ばれたジルは、宮廷でジャンヌ・ダルクという少女に引き合わされた。そして、この聖少女の大天使のような威厳に圧倒されてしまう。もともと信仰心の厚いジルである。彼はジャンヌに忠誠を誓い、以後、彼女の良き右腕となるのであった。
 2人は百年戦争で数々の輝かしい武勇伝を残した。ジルはこの武勲により陸軍元帥の称号を授かり、併せて家紋に王家の百合が添えられるというこの上ない名誉も頂戴した。
 しかし、ジルの栄光はここまでだった。ジャンヌ・ダルクがイングランド軍に捕らえられ、火あぶりにされてしまうのである。盟友を失ったジルは苦悩する。そして、再び放蕩三昧の生活に舞い戻って行くのであった。



ティフォージュ城跡

 芸術と奢侈をこよなく愛したジルは、世界中の豪華な美術品を買い漁り、連日のように盛大な宴を催しては、その莫大な富を蕩尽していく。数年後にはフランス随一とまで云われた財産を使い果たしてしまう。彼が錬金術に魅せられたのはこの頃からである。
 思うに、ジルが黒魔術に傾倒し、悪魔との契約に熱心になったのは、ジャンヌ・ダルクの命を奪い、彼の忠誠を裏切った神への背徳が主な理由であろう。しかし、それは同時に彼の内なる嗜虐心をも充足した。ジルは悪魔への生贄として少年の心臓を捧げた。この行為がよほど刺激的だったのだろう。やがてジルは、悪魔のためではなく、専ら己れの欲望のために少年をなぶり殺すようになる。その数は300人と云われている。

「遂に子供たちが死んで倒れると、レエ侯は彼らを抱き締める。そして、肉体を開かせ、はらわたを眺めて楽しむのだった。最後には、極限にまで興奮しようと泥酔したレエ侯はどさりと倒れる。召し使いは部屋を掃除して血を洗う。主人が眠っている間、彼らは一枚一枚焼くのにおおわらわだった。彼らが云うところによれば、『悪臭を防ぐため』だったという」
(ジョルジュ・バタイユ著『エロスの涙』より)



ジル・ド・レの処刑

 これだけの数の行方不明者が出れば良からぬ噂がたつのも道理。近隣では領主の人喰いの噂で持ちきりになった。これがやがて大司教の耳にも入る。内密に調査が行われ、やがてド・レ侯は確かに失踪事件に関与している旨の報告書が提出された。しかし、侯は仮にも百年戦争の功労者、フランス最大の領主である。確かな証拠があがっても、彼を処罰することができるかは疑問だった。
 ところが、ここでジルは軽率な行動に出る。1440年、聖霊降臨祭でのこと。ジルは六十余名の軍隊を率いて或る教会に押し入った。領主権を巡って抗争していた諸侯の弟にあたる聖職者を捕らえるためだったのだが、ミサを乱すことは当時は極めて重罪だった。この事件が大司教の逆鱗に触れ、ジルを陥れるためのありとあらゆる手段が講じられた。
 9月13日、大司教はシャルル7世から許可を得て「異端、幼児殺戮、悪魔との契約、自然の掟に対する違反」の罪でジルを告発した。どれ一つをとっても死罪を免れない大罪だった。
 裁判はナント城で行われた。1ケ月にも及んだこの裁判は、サド侯爵ならば大歓びすること請け合いの大残酷博覧会だった。腹心の1人、エティエンヌ・コリエはこのように証言している。

「自然の摂理に反して少年たちに自堕落な行為を及ぶために、ド・レ侯はまず自分の性器を握り、勃起するまで擦りました。そして、淫らな興奮に身を任せて少年の体内で摩擦し、最後にはその腹上で射精するのでした。
 絶頂に達した後、侯は我々に命じ、少年の首を生きたまま切断させました。時にはじわじわとうなじから切ることもありました。侯は大変に興奮し、血を流しながら死んで行く少年を眺めながら自慰に耽ることもありました。
 少年たちに悲鳴をあげさせないために、侯はまず首に縄をかけて、床から3メートルほどの高さに吊るしました。そして、死ぬ直前に下ろしてやって、声を出すなと云うのでした。それから自分の性器を擦り、少年の腹に射精するのです。果てると同時に、少年の喉を掻き切り、首を切断します。時には首を並べて『どの頭が一番綺麗かね?』と訊ねることもありました」

 なんか余りに凄いので、文献を写しながら途方に暮れている私。鬼畜のような私でさえそうなのだから、当時の人々の衝撃たるや如何許り。そのあまりの惨さに大司教までが耳を塞いで、聞こえないように「アー」とか云いながら後ろを向いてしまった、と伝えられている(これはちょっと嘘)。

 ひとたびは悪魔に魂を売ったジル・ド・レも、裁判においては全面的に改悛の情を露にした。
 1440年10月26日、ジルは絞首の上、屍体を焼かれる予定であったが(当時は屍体を焼却することは死者に対する冒涜を意味していた)、改悛の情が斟酌されたのだろう。焼却だけは免れた。ジルの屍体の周りには人集りが出来、誰もがこの偉大なる元帥の魂の救済を願って涙したと伝えられている。


参考文献

『連続殺人紳士録』ブライアン・レーン&ウィルフレッド・グレッグ著(中央アート出版社)
『世界犯罪者列伝』アラン・モネスティエ著(宝島社)
『吸血鬼幻想』種村季弘著(河出書房新社)
『世界残酷物語(上)』コリン・ウィルソン著(青土社)
『エロスの涙』ジョルジュ・バタイユ著(リブロポート)


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